2016年07月25日

■沖縄へ弾圧を強める国家権力

■沖縄へ弾圧を強める国家権力
〜市民排除の暴挙〜

今、沖縄で起こっているか。辺野古移設、高江ヘリパット着工で国家権力が再び沖縄に襲いかかった。辺野古新基地建設を巡り、国が沖縄県を再提訴した。一方、高江ヘリパット着工で市民を排除する暴挙に出た。

連日報道される記事を読むと『選挙で示された民意』が無視されている。沖縄県民を『足の裏』で踏み続ける。

島尻安伊子沖縄担当相が7月10日の参院選で落選した直後のことだ。自民党は沖縄で衆参の議席を全て失った。国家は事態打開への道筋を閉ざし、県民への弾圧を強める。米軍政下の高等弁務官の恐怖と圧政の再現だ。

米軍属による女性暴行・殺人事件で県民の反基地感情が一気に高まり、事態は一段と複雑になった直後、島尻安伊子大臣が落選した。県民は島尻沖縄担当相の公約違反の醜態を観察していただけに敗北は予想していた。

その直後、このような始末だ。国と県は2016年3月の代執行の『和解』で、埋め立て工事を中止し、『円満解決に向けた協議』を続けてきた。国は訴訟も一つの解決策として提訴に踏み切ったとマスコミは報道する。

米軍北部訓練場の一部返還に伴う東村『高江ヘリパット建設』。2年間中止していたが、参議院選挙後いきなり工事が着工された。現場は大きな衝撃と不安が襲う。沖縄タイムス、琉球新報は社会に可視化されて報道する。機動隊との激しいもみ合い、50代男性がろっ骨を折る全治1ヵ月の重症を負った。強行に市民が排除されていく。

『国の暴力』は、トンデモナイ浅薄(せんぱく)な歴史理解である。私たちのまわりは、悲劇や不平等や理不尽にまみれ,誰かがその犠牲になっている。

悪いのは、誰なのか。沖縄か、国家権力か。沖縄で民主主義の剥がれ落ちた『残像』を見る思いだ。

島尻安伊子氏の話をする。島尻氏は嘘で塗り固めた公約違反の経歴を持つ、その政治姿勢は県民との『断層』があった。公約を破棄し、辺野古推進の旗振り役を演じた閣僚だ。沖縄に『スピリッツ』を持たない。北方担当大臣として『歯舞』の字が読めず、薄っぺらな知識をさらした。資質を欠くような人物を国会に送り込んだことを県民は反省し落選させた。しかし、不条理な国家権力は沖縄社会に深く根を下ろす。

参議院選挙後、国は機動隊500人を導入し、ヘリパット建設を再開した。なりふり構わず市民を弾圧する。沖縄2紙の報道で可視化されるが本土紙の関心は低い。

沖縄戦の犠牲と、苦労、悲しみを抱えながら辺野古で新基地建設反対を叫ぶ古老がテレビに映し出されていた。県民の心の中に響き続ける悲痛な叫びだった。一方で根源的理解を欠き続ける国家権力がある。

菅義偉官房長官の定例記者会見が放映されていた。『訴訟も一つの解決策である』と、薄っぺらな言葉を飛ばした。言葉は説得力に欠ける。政府側の発言を聞くと教訓がなく、また感動もない。沖縄県民は置き去りにされているのだ。

国と沖縄との距離は遠い。不安は募るばかりである。国家の姿・・・日曜日の朝、構造的な問題を考えた。
posted by ゆがふ沖縄 at 00:02| 米軍基地・評論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月06日

■決めるのは誰?

■決めるのは誰?
〜沖縄県民大会への生憎(あいにく)な言葉〜

6月19日の沖縄県民大会についてブログで取り上げたら、数名からメールをいただいた。元海兵隊員による殺害・遺体遺棄事件を糾弾する『沖縄県民大会』の反響についてであった。

主な意見は、『県民大会は政治利用だ』と主張する沖縄選出国会議員への嫌悪感だった。レイプ・殺人事件は絶対許されない。沖縄県民を愚弄している意見だった。

沖縄県民大会をめぐって、いろいろな意見があったことは事実だ。『オール沖縄』を網羅していないとか、相談がなかったから参加しないとか、特定候補者を利するとか、このような次元の低い話を聞くと恥ずかしい。新聞報道で生憎(あいにく)な言葉を聞くと集まった6万5千人に対して失礼極まりないことではないか。

ラビンドラナートタゴールの格言に『哲学なき政治』『感性なき知性』『労働なき富』、この三つが国家崩壊の要因なり─とある。

県民大会は県民視点で開催されてきた。絶えることのない米軍人軍属のレイプ事件、殺人・遺棄事件に対する沖縄県民の声を日米政府に発信する民族の怒りであるからだ。

特定政治家が批判すべき問題ではない。政治は県民の心と一つでなければならない。県民の心を読み違えるのは政治ではない。

つくづく思うことだが、沖縄の政治家の一部には、公約を平気で翻す政治家もいる。辺野古県外移設を公約に掲げ当選したが、抜擢されると真逆の辺野古移設を推進している。今、『品格』という言葉に県民の関心が向いている。政治家の言動は顔や背中に滲み出ているものだ。

政治家の本来あるべき姿をつくづく考えさせられる。公約を翻す政治家に美徳は見られない。 『人心をつかみ、公約を守る』ことが政治の原点と思うのだが・・・。

もっともらしい話をする政治家は一度疑ってみる必要がある。政治はなぜ信頼を失い『急墜』したのか。正しいベクトルで政治をしてほしい。


posted by ゆがふ沖縄 at 00:28| 米軍基地・評論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月20日

■民族の怒りが燃えた

■民族の怒りが燃えた
〜沖縄県民大会に参加して〜

灼熱の太陽が照らす沖縄。6月19日、沖縄県民大会に参加した。沖縄の痛み、苦痛と侮辱・・・戦後71年の沖縄の現実だ。元米海兵隊員が女性を暴行し遺棄した残酷な凶悪事件。被害者を追悼し、海兵隊の撤退を求める県民大会だった。

6万5千人が集まった。民族の怒りは頂点に達した。心を静かにし、耳を澄ませて聞いた。開会は古謝美佐子さんの「童神(わらびがみ)」が流れた。

「天からの恵み、受けてこの地球(ほし)に 生まれるわが子 祈り込めて育て
イラヨーヘイ イラヨーホイ」

樹木が光を求めるように、沖縄県民は平和を求める。安心して暮らせる沖縄を求める。

人間の尊厳を断ち切られ、20歳の若さで命を絶たれた。基地がある所以だ。いつまで続くこの不条理。古謝美佐子さんの歌声を聞いて涙した。天高く沖縄の空に響いた。官邸まで響いてほしかった。

6月19日付の『沖縄タイムス』『琉球新報』の別冊は戦後の米軍関係者の事件・事故の詳細が掲載されている。貴重な資料だ。同日付の『琉球新報』島洋子政治部長の特別評論は心に響く。多くの日本人が読んでほしい。

共同代表の、稲嶺進さん、呉屋守将さん、高里鈴代さん、玉城愛さんの挨拶は素晴らしかった。沖縄の現実が集約されている。安倍首相や日本政府の高官に聞かせてあげたかった。

誰もが生まれ育ち、誰もが自由に安全に、当然のように生きられる土地がある。日本国の中に沖縄は含まれるのか。なぜ、沖縄には本土のように安全で自由な生き方ができないのか。

翁長雄志知事の挨拶は海兵隊撤退まで踏み込んだ。沖縄の苦悩が滲み出ていた。日本人は広い心で沖縄の現実を見てほしい。知事の言葉は県民の心に貼りついている。
「ぐすーよー まきてぇーないびらんどー」・・・翁長知事の言葉に魂の力を感じた。共感の響きが会場を包んだ。拍手が溢れていた。

ウチナンチュー(沖縄人)で県民大会に不参加を表明した政党がある。参議院選挙前だとか、政治色が強いとか、理由をつけた不参加の記者会見内容がマスコミから伝わってくるが、そのような次元の低い問題ではない。沖縄の現実の問題である。県民の尺度で県民の立場で政治を行っているのか。損か得かの問題ではない。沖縄を見る尺度は何か。米軍の凶悪犯罪に心を砕いて向き合うことができるのかが問題だろう。政治は県民の心と同じでなければならない。

一人の若い命が失われたが、この現実をどう感じているのか。政治色が強いから参加できないという発言自体が政治色の匂いがする。県民から心が離れる時が来る。今沖縄で何が起こっているか。政治とは何か、考えてほしい。

不条理の沖縄で生きてゆくために、人は力を要する。困難があればあるほどその力がものを言う。

人間のほんとうの生き方は何か。「もしかしたら私だったかもしれない」・・・共同代表の玉城愛さんの言葉を聞いて、米軍人軍属が口を開け県民を恐れおののかせる不安が心を刺す。

暑き夏の沖縄・・・痛みを通しての連帯があった。「時の呼びかけ」を聞く県民大会だった。沖縄の心が一つにつながった。戦後71年の忍従を解き放つ力で県民は立ち上がった。
posted by ゆがふ沖縄 at 00:01| 米軍基地・評論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする