2017年01月23日

沖縄復帰特例(酒税)の政治利用(40)

沖縄復帰特例(酒税)の政治利用(40)
〜政治利用の不条理を突く〜

■政治案件化した「復帰特別措置」
復帰対策に当たって最も困難であった問題は、多年外国の施政権下にあった沖縄の諸制度から本土の諸制度へいかにして円滑に移行させることであった。

沖縄の政治、経済、社会のあらゆる面における営みは、長年本土と異なった制度のもとで行われてきたわけで、これらの制度と異なった本土の諸制度を復帰の日からそのまま直ちに適用すると混乱が生じることになる。

復帰対策の策定に当たっては、国、県、市町村の基本制度について本土と差別のない沖縄県の誕生を確保することであった。

沖縄の経済生活ないし一般の住民生活に大きな変化を与えるような諸問題については、激変を緩和するため、原則として本土の制度を適用した場合、住民の負担が増加し、さらに事業活動に制限が加えられたリ、新しい手続きを必要とする場合には、一定期間、沖縄の制度を存続させ、あるいは本土法の適用を猶予し、逆に本土の制度の方が有利な場合には、これを直ちに沖縄に適用し住民生活及び産業活動に関する特別措置を講じるものである。

2017年度の沖縄税制改正では、その本質は歪められ、政治が介入する様になったのだ。県が要望した9項目のうち、酒税の軽減措置など7項目で延長幅がこれまでの5年から2年に短縮されたのである。

基地問題で政府と対峙する沖縄県に対して、沖縄税制の軽減措置延長への政治介入が露骨になった。酒税の軽減措置の延長を要望した「沖縄県酒類製造業連絡協議会」に対して自民党は「職域支部」の創設を持ちかけた。暗黙の政治的揺さぶりをかけたのである。党勢拡大に協力すれば便宜を図る。経済活動への政治介入。権力による制度の私物化以外の何物でもない。結晶する言葉もない。

復帰特別措置は、政党の党勢拡大、集票力目的化し政治案件化していることは、沖縄復帰の基本方針に反する。

「沖縄の歴史を償う。沖縄の発展は、沖縄の人たちが先頭に立って自らの未来を築いていくということが、実質的にも形式的にも出なければならない。そのために政府は復帰後の沖縄振興に全責任を負う」・・・初代沖縄開発庁長官・山中貞則の言葉である。

一人の県民として、我を離れて沖縄を想うとき、那覇市与儀「沖縄・北方対策庁沖縄事務局」で復帰対策の「原点」を見てきたが、沖縄税制と予算が政治案件化している現実を嘆かざるを得ない。税制も予算も基地に根差した姿があるからだ。(この項終わり)

posted by ゆがふ沖縄 at 00:12| 日本政府の復帰対策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月20日

沖縄復帰特例(酒税)の政治利用(39)

沖縄復帰特例(酒税)の政治利用(39)
〜政治利用の不条理を突く〜

■復帰特別措置の精神
昭和46年11月10日、衆議院「沖縄及び北方問題に関する特別委員会」。総理府総務長官・山中貞則は日本の閣僚として初めて沖縄県民に謝罪した。沖縄復帰関連法案の説明途中で涙ぐんでいた。

委員会は静まり返った。われわれ日本国民及び政府は、この多年にわたる忍耐と苦難の中で生き抜いてこられた沖縄県民の心情に触れ、涙声で復帰特別措置の内容について説明した。沖縄の戦後の歴史と祖国復帰を叫び続けてきた沖縄県民に陳謝した。

歴史的大事業の意義について語るときはハンカチで目頭を押さえていた。沖縄復帰の目標は「明るく豊かで平和な沖縄県の建設である」と述べた。県民の不安や動揺をきたさないよう国がすべての責任を持つと約束した。

特別措置の理由は、@沖縄戦で焦土と化し、数十万人の尊い生命が失われたこと、A戦後27年、米軍支配下に置かれたこと、B本土から遠隔地にあること、C多数な離島からなり不利な条件下にあること・・・など説明していた。

沖縄県民の心情に深く思いをいたし、本土と差別のない沖縄県の建設に触れた。格差是正が喫緊の課題とされた。米軍制度の制度から日本の制度への移行に当たり特別措置の必要性を語った。

復帰特別措置の関連資料は那覇市与儀にあった沖縄北方対策庁沖縄事務局が担った。初代局長は自治官僚の岸昌。山中・岸ラインでスタートした。跡地に那覇警察署が移転し、日本政府「南連」の石碑が建立されている。

復帰時の懸案事項は、治安、運輸、外国資本の取扱い等であった。治安対策として警察庁から参事官が赴任。交通問題(車は右側通行)は運輸省から参事官、外資導入の取扱いについては通商産業省から参事官が派遣され、日米琉諮問委員会の参事官も兼務していた。沖縄の夜明けの扉を開く意気込みで情熱があった。

米国民政府との折衝は自治官僚・小林悦夫が担った。沖縄の功労者である。
歴史の過渡期には、人の巡り合わせがある。復帰対策の絶妙なチャンスを沖縄に与えてくれた。
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2017年01月19日

沖縄復帰特例(酒税)の政治利用(38)

沖縄復帰特例(酒税)の政治利用(38)
〜政治利用の不条理を突く〜

■沖縄施策の心構えと姿勢

復帰後の国の出先機関を巡っては議論が百出する。沖縄開発庁は北海道開発庁のように公共事業を主に考えたものではなく、県民の生活全般にわたるものの底上げ、各省庁との総合調整及び一元的に国家機関を統合した形を考えていたと、沖縄北方対策庁調整部長・田辺博通は当時のいきさつを証言する。

沖縄側の要望も変質し揺れ動く。例えば、国税局にしろ、通産局にしろ、財務局にしろ、運輸局にしろ、ブロック機関を沖縄に出してほしいというものであった。

日本政府が考えたのは、九州ブロックの1地方、離島の出先機関になってしまうと、いちいち本省の東京や九州に行って陳情するとか、交渉しなければならず、とても不便であるし、それではなかなか復帰後の沖縄の発展が望めないというものであった。

開発庁と総合事務局について山中の証言がある。「沖縄が反対なら、やるつもりはない。沖縄がやれという要望があれば俺はやる」

「償いの心」「贖罪意識」で設置されたのが沖縄開発庁である。謝罪の気持ちで沖縄振興に向き合う山中の情熱が結実したのである。

1972年3月、山中が全国民に語った言葉を掲げる。

「沖縄と政府の関係を重視したい。沖縄の意思を図って沖縄県民の選択した方向へ未来像を描く。われわれ本土から見てなるほどもっともだという未来像と一致したときに、両者協力していける」

「沖縄県民の人たちは、自分たちが沖縄再建の担い手だという誇りは耐える哲学から生まれたと思う。長い苦難な歴史を歩んできた沖縄の人たちに対する謝罪という気持ちをもって力づけてあげたい」

「国の力でできることは何でも手を貸す、こういう心構えと姿勢が一番肝要である」

菅 義偉官房長官、鶴保庸介沖縄担当大臣には聞いてほしい言葉である。

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