2017年05月01日

検証・沖縄大使(6)

検証・沖縄大使(6)

沖縄復帰準備委員会が那覇に設置されると、琉球政府は同年5月に復帰準備委員会顧問代理を置き、10月には復帰対策事務専管の復帰対策室を設置するとともに、各局に復帰対策協議会を設け、これら各機関の機能及び連絡体制を十分に発揮させて復帰対策に取り組むようになった。

沖縄大使が置かれたが、外務官僚の中には沖縄への理解を欠く発言もあった。日本政府沖縄事務所長・岸昌は沖縄タイムス論壇で「復帰準備の精神」を問うた。沖縄の要望が多すぎる、沖縄を甘やかすなという声に岸は喝破した。外務省は沖縄復帰対策の推進役ではなかった。

行政実務作業は沖縄・北方対策庁が行った。沖縄現地には沖縄事務局が設置され、復帰対策要綱及び復帰関連法案立案の基礎資料を収集した。

沖縄の円滑な本土復帰の実現に向けて作業が開始された。復帰対策要綱とは、沖縄の諸制度と本土の諸制度を円滑に一本化して復帰に伴う混乱を最小限にとどめるための措置である。

基本的な考え方は、@国、県、市町村の基本的制度については、沖縄と本土と一体化することが必要であり、このことによって本土とまったく差別のない沖縄県の誕生を確保する、A沖縄の経済生活ないし一般の住民生活に大きな変化を与えるような諸問題については、激変緩和のための暫定ないし特例措置を講じていく、B復帰対策の策定に当たっては、琉球政府を始め沖縄県民の意思を十分に尊重し、できる限り施策に反映させる─というものである。

政府は1970年11月20日、第1次復帰対策要綱を閣議決定する。県民生活及び産業活動に重要な影響があると認められる事項として、@教育・文化、A厚生・労働、B通貨・金融、C産業・経済、D交通・通信、E免許・資格、F公務員─などについてまとめた。

第2次復帰対策要綱は、@沖縄県及び市町村、A琉球政府の関係機関、B沖縄振興開発公庫、B教育・文化、C厚生・労働、D産業・経済、E運輸・通信、F司法・労務、免許・資格、G在沖外国人の在留資格─などについて1次要綱で漏れた内容の検討が行われ1971年2月19日、閣議決定された。

第3次復帰対策要綱では、1次から2次要綱で網羅できなかった@行政、A税制、B財政・金融、C産業・経済、D厚生、E教育・文化、F司法・法務、Gその他(対米請求権、所有者不明土地など)─などが1971年9月3日、閣議決定され復帰施策の全貌が示された。

1971年9月、沖縄復帰対策要綱を踏まえ沖縄復帰関連法案が立案され「沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律案」、「沖縄の復帰に伴う関係法令の改廃に関する法律案」、「沖縄振興開発特別措置法案」「沖縄振興開発金融公庫法案」、「沖縄開発庁設置法案」などの沖縄復帰関連法案が第67回国会(沖縄国会)に提出された。

祖国復帰を目前に控え、復帰特別措置2法案と沖縄振興特別措置法案は1971年12月30日、可決・成立し、翌31日公布され、沖縄返還協定の効力の発生日(1972年5月15日)から施行された。沖縄復帰時に沖縄大使は廃止された。


posted by ゆがふ沖縄 at 01:23| ◆「時の動き」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月28日

検証・沖縄大使(5) 検証・沖縄大使(5)

検証・沖縄大使(5)

1970年5月1日、「沖縄復帰のための準備委員会への日本国政府代表に関する臨時措置法」が制定された。この法律は、沖縄の日本国への復帰準備に関する日本国とアメリカ合衆国との間の合意に基づいて沖縄島那覇に設けられる準備委員会への日本国政府代表を長とする代表事務所の設置及びその任務等を定め、日米琉諮問委員会は復帰準備委員会へ組織が変わった。

外務省の機関として、沖縄復帰準備委員会日本国政府代表事務所が置かれ、沖縄大使に高瀬侍郎が就任する。

沖縄大使・高瀬侍郎は東北帝国大学卒業、外務省入省。外務省外務大臣官房審議官を務め、1962年(昭和37年)駐セイロン特命全権大使、1966年(昭和41年)駐ビルマ特命全権大使、1968年(昭和43年)日米琉諮問委員会日本国政府代表(沖縄大使)として那覇に赴任。

日米琉諮問委員会は、1970年(昭和45年)沖縄復帰準備委員会に組織が変わり、高瀬侍郎は日本政府代表・沖縄大使として復帰対策にかかわることになる。

高瀬は1972年(昭和47年)沖縄復帰時に外務省顧問、1975年沖縄国際海洋博覧会日本政府代表を務める。

代表事務所は、準備委員会において日本国政府を代表し、同委員会を通じて行なう沖縄の復帰準備に関し必要な事項につき、在沖縄アメリカ合衆国政府機関との協議に当たることを任務とした。

復帰準備委員会は産業経済、施政権移転、地位協定、総務の4小委員会を設置。主要な議題は、米国民政府の諸機能を施政権返還の前に琉球政府や日本政府に移すことであった。

琉球政府に対する財政援助については、日本政府の意向も反映され、沖縄財政援助は復帰対策を中心に拡大していった。

復帰準備委員会の権限はかなり限定され、対米放棄請求権、土地の復元補償、軍用地、土地裁判所訴願事案の処理、米国からの資産引き継ぎ、毒ガス撤去など沖縄側が重視した問題はほとんど権限外として正式議題として取り上げることはなかった。

posted by ゆがふ沖縄 at 00:39| ◆「時の動き」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月27日

検証・沖縄大使(4)

検証・沖縄大使(4)

閣議決定内容を掲げる。
日本本土と沖縄との一体化に関する基本方針について
昭和43年11月5日 閣議決定

1 沖縄の本土復帰に備え、本土と沖縄との一体化は明年度以降おおむね三箇年で完了するものとする。

2 一体化の対象としては、特に教育、社会福祉、産業基盤、市町村行財政等に重点を置くものとする.

3 明年度の対沖縄財政援助は、一体化推進の線にそって拡充するものとする。

4 本土、沖縄の一体化施策の推進に当たっては、予想される沖縄経済の急激な変動をさけるため、必要な暫定措置を検討するものとする。

5 沖縄住民の有する日本郵便貯金等に関する債権については、可及的すみやかにその解決を図るものとする。

1968年12月12日、「沖縄及び北方問題に関する特別委員会」で総理府総務長官・床次徳二は、一体化施策のこの方針のもとに、明年度以降おおむね三カ年をもって、行政各般にわたり、本土と沖縄との間に横たわる諸種の障害を着実に取り除くためのきめのこまかい財政上、制度上の一体化施策を総合的計画的に実行に移すと明言。

沖縄住民とその制度の日本本土との一体化を完了し、本土復帰の準備体制を整えていく所存であると述べた。

そしてさしあたり、明年度の沖縄援助費については、一体化推進の線に沿って、日米琉諮問委員会の勧告、日本政府一体化調査団の調査結果及び従来の財政援助の推移、効果等を勘案しながら、行政各般にわたり一体化施策推進に必要な経費、特に教育、社会福祉、産業基盤整備、市町村行財政等の面について重点を置きながら従来に比し大幅に拡充する方向を示した。

posted by ゆがふ沖縄 at 00:02| ◆「時の動き」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする