2017年05月16日

検証・沖縄大使(16)

検証・沖縄大使(16)

(歴代の沖縄大使と沖縄の動向)
■4代大使・沼田貞昭[1]任命2003年1月17日
在任期間2003年1月17日〜2004年12月7日

沼田貞昭沖縄大使は2003年1月31日、外務省沖縄事務所で着任会見し、米軍の事件・事故防止について「具体的な対策を取り、効果を上げたい」と述べた。在沖米軍と県、国を交えた三者協議会やワーキングチームを通し、対策に積極的に取り組む決意を示した。(2003年2月1日付・琉球新報)

琉球新報の報道によれば、沼田大使は「米軍の若い兵士が日本、特に沖縄の歴史やそこに根差したいろいろな環境を理解し、尊敬することが必要だ」と述べ、地元と米軍、政府との「橋渡し」をしていくことを強調。「沖縄を国際交流の一つの拠点として振興する手伝いができるのではないか」とも述べ、国際会議の誘致や人材育成にも力を入れていく考えを示した─という。

沖縄に寄り添う大使と思っていたが、離任あいさつでは、沖縄を軽蔑した大使であった。沼田大使着任後の沖縄の政治情勢を見てみよう。

2003年12月18日「第12回北部振興協議会」、「第9回移設先及び周辺地域協議会」が開催された。翌19日、「第2回代替施設建設協議会」において代替施設建設に係る事業の進捗状況について協議。

普天間飛行場移設に伴い、北部振興事業も2000年度から毎年100億円が執行されるようになった。北部振興事業と辺野古移設はリンクする。「普天間飛行場の移設に係る政府方針」は1999年12月28日閣議決定。これに基づき、北部地域の振興策への特別予算として2000年度予算に100億円計上。おおむね10年間で1000億円の特別予算の確保である。
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2017年05月12日

検証・沖縄大使(15)

検証・沖縄大使(15)

(歴代の沖縄大使と沖縄の動向)
■3代大使・橋本宏[2]任命2001年2月23日
在任期間2001年2月23日〜2003年1月17日

2002年11月17日、沖縄知事選で稲嶺恵一氏が再選、翌12月6日、「第10回北部振興協議会」、「第7回移設先及び周辺地域振興協議会」が開催された。

橋本大使着任後の沖縄の政治情勢、基地問題の動向について概観してきたが、この間、橋本宏沖縄大使は沖縄にどのように向き合ったのか。基地問題に対する対応はどうだったのか。

橋本沖縄大使は着任直後の2001年4月10日、人間性、資質を疑わせる発言があった。4月10日付の琉球新報は、感情を剥きだした橋本沖縄大使発言を報道。これが沖縄大使の姿か? 

米軍機の名護市上空の訓練飛行中止を求めた同市議会代表との面談で「分からないのは分からない」「私は聞く耳をもたない」などと声を荒らげ、一部市議の発言を遮ったという。この人の感覚は見当違いも甚だしい。

沖縄大使として、名護市市会議員に対して「私は聞く耳を持たない」。はぁ〜と思った。煌びやかな肩書をちらつかせたつもりだろう。沖縄から見た視点がまったくない。このバランス感覚のなさは何だろう。


「聞く耳持たない発言」について、橋本宏沖縄大使は定例記者懇談会で「感情的になってしまった。最後まで聞き、説明すべきだった」と釈明した。

マスコミ報道に驚いたのだろうか。大使は今週中にも外務省の見解を市議らに伝え、理解を得たいとの意向を示した。(2001年4月10日、琉球新報報道)

外務省沖縄事務所を訪れた市議から説明を求められた際の状況について、大使は「(問題化した)施設局長と市議のやりとりは知らなかった。私はその場でいろいろと聞き、東京にしっかり伝えようと思っていた。

市議の一人から『要請書を出しているのに質問するのは何事か』と言われ、話がとげとげしくなってしまった」と振り返った。

また、大使は「『もっと詳しい説明を』と言われれば、承知していなかったのは事実で申し訳ない」とし、要請に対する説明に準備不足があった点は認めた。
その上で「独立国かどうかが問われている」と切り出した市議の発言を遮り続けたことについて、「あのような発言は思いもよらず、感情的になってしまった。最後までお聞きして私の見解と違っていれば、賛成できないと説明すべきだった」と釈明。

「今後は賛成できないことがあったとしてもご意見を聞き、私の意見も聞いてもらえるようにしたい」と述べた。(2001年4月10日、琉球新報報道)

橋本沖縄大使は、外交官としての資質を完全に失ってしまっている。トンデモナイ沖縄軽視と歴史理解だ。陳腐化した沖縄大使の実態を見た。あぁ〜沖縄大使よ!


posted by ゆがふ沖縄 at 00:07| ◆「時の動き」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月11日

検証・沖縄大使(14)

検証・沖縄大使(14)

(歴代の沖縄大使と沖縄の動向)
■3代大使・橋本宏[1] 任命2001年2月23日
在任期間2001年2月23日〜2003年1月17日

橋本大使着任後の沖縄の政治情勢について述べる。2001年3月6日、普天間飛行場の辺野古移設に関する「第6回代替施設協議会」開催。

6月8日、「第7回代替施設協議会」において代替施設3工法8案が提示し、辺野古新基地建設が具体的に動き出す。「第6回北部振興協議会」、「第4回移設先及び周辺地域振興協議会」、「第4回跡地利用準備協議会」が開催される。

9月4日、「第7回北部振興協議会」、「第5回跡地利用準備協議会」開催。

最も注目されるのは、10月11日、普天間飛行場の移設先、名護市辺野古、豊原、久志代表は名護市と振興策について話し合う「名護市・三区合同委員会行政連絡会議」を発足したことだ。基地を受け入れる見返りとして振興策を求めてきたのである。

基地受け入れは、振興策という名目で「カネ」とリンクする条件整備と見るべきだろう。12月27日には、「第8回代替施設協議会」で「代替施設基本計画主要事項に係る取扱い方針」が決定されたのである。普天間飛行場の跡地利用の促進も具体化していく。

2002年2月3日、名護市長選の結果、岸本建男氏が再選。政府は、基地問題に配慮し、普天間とリンクし4次振計「沖縄振興計画」を決定する。

普天間飛行場問題が追い風になり「新沖振法」を制定、4次振興「沖縄振興計画」につながったのである。

基地と振興策について述べる。新たな沖縄振興法は、従来の社会資本整備の充実に加え、自立型経済の構築を目指すための沖縄の特性を活かした産業振興を柱とする120条に及ぶ他に類例を見ない大型の地域振興立法である。

新沖縄振興法は、復帰プログラムの「格差是正」の考え方を見直し、新たな沖縄づくりとして観光や情報産業、金融特区など戦略的分野で沖縄の自立を促す「産業振興」の基本ツールが盛り込まれた。

沖縄の本土復帰からすでに30年が経過し、復帰に伴う措置として位置付けられた旧法の目的「沖縄の復帰に伴い」、「その基礎条件の改善」の文言は削除された。「沖縄振興開発計画」から「開発」が削除され、「沖縄の自立的発展の実現」が追加されたのである。

2002年10月3日、基地問題は新たな段階を迎えることになる。日米合同委員会においてSACO事案であった「読谷補助飛行場」及び「楚辺通信施設」について前者が全部返還、後者が代替建物工事実施をそれぞれ合意されたのである。

posted by ゆがふ沖縄 at 00:17| ◆「時の動き」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする