2017年05月17日

検証・沖縄大使(17)

検証・沖縄大使(17)

(歴代の沖縄大使と沖縄の動向)
■4代大使・沼田貞昭[2]任命2003年1月17日
在任期間2003年1月17日〜2004年12月7日

2004年4月28日、普天間飛行場代替施設建設事業に係る環境評価手続きを開始(2007年8月7日廃止)。

7月30日、「第13回北部振興協議会」、「第10回移設先及び周辺地域振興協議会」開催。

8月13日、沖縄国際大学構内に在日米軍所属のCH―53Dヘリが墜落。9月12日、ヘリ墜落抗議・普天間返還県民大会へ炎天下のなか3万人結集。県民大会直前の9月9日、日本政府は普天間飛行場代替施設の護岸を設計するための必要なボーリング調査に着手したのだ。

沼田沖縄大使着任後の基地問題の経緯である。

2004年12月1日、沼田大使は離任に当たり、外務省沖縄事務所で記者会見。沖縄への対応力を失った発言に驚愕した。

離任会見で「最後のお願い」を述べ、「米軍が日本を守る使命への理解」を熱っぽく持論を展開したが、職業外交官の体質をさらけ出す始末だ。沖縄認識はゼロに近い。

だれのために「沖縄大使」はいるのか・・・そんな疑問が地元・沖縄で渦巻く。沖縄と政府、米軍との橋渡し役として誕生したが沖縄大使だ。影が薄い。4代目大使の沼田貞昭氏が離任会見で「米軍に抗議より対話を」と発言。稲嶺恵一知事は遺憾の意を表明。

朝日新聞は「何のための沖縄大使」か/存在意義に地元で懐疑の声噴出/離任会見で「米軍抗議より対話」と紙面を飾った。

沖縄タイムスは「沖縄大使は再考の時にきている」、琉球新報は、「誰のため、何のために沖縄に配置されているのか」と社説で指摘、沖縄大使の在り方に疑問符を突き付けた。

沖縄の歴史の無理解、座標軸を見いだせないまま、自己増殖を続けている沖縄大使の残像を見る思いだ。
posted by ゆがふ沖縄 at 00:19| ◆「時の動き」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月16日

検証・沖縄大使(16)

検証・沖縄大使(16)

(歴代の沖縄大使と沖縄の動向)
■4代大使・沼田貞昭[1]任命2003年1月17日
在任期間2003年1月17日〜2004年12月7日

沼田貞昭沖縄大使は2003年1月31日、外務省沖縄事務所で着任会見し、米軍の事件・事故防止について「具体的な対策を取り、効果を上げたい」と述べた。在沖米軍と県、国を交えた三者協議会やワーキングチームを通し、対策に積極的に取り組む決意を示した。(2003年2月1日付・琉球新報)

琉球新報の報道によれば、沼田大使は「米軍の若い兵士が日本、特に沖縄の歴史やそこに根差したいろいろな環境を理解し、尊敬することが必要だ」と述べ、地元と米軍、政府との「橋渡し」をしていくことを強調。「沖縄を国際交流の一つの拠点として振興する手伝いができるのではないか」とも述べ、国際会議の誘致や人材育成にも力を入れていく考えを示した─という。

沖縄に寄り添う大使と思っていたが、離任あいさつでは、沖縄を軽蔑した大使であった。沼田大使着任後の沖縄の政治情勢を見てみよう。

2003年12月18日「第12回北部振興協議会」、「第9回移設先及び周辺地域協議会」が開催された。翌19日、「第2回代替施設建設協議会」において代替施設建設に係る事業の進捗状況について協議。

普天間飛行場移設に伴い、北部振興事業も2000年度から毎年100億円が執行されるようになった。北部振興事業と辺野古移設はリンクする。「普天間飛行場の移設に係る政府方針」は1999年12月28日閣議決定。これに基づき、北部地域の振興策への特別予算として2000年度予算に100億円計上。おおむね10年間で1000億円の特別予算の確保である。
posted by ゆがふ沖縄 at 00:04| ◆「時の動き」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月12日

検証・沖縄大使(15)

検証・沖縄大使(15)

(歴代の沖縄大使と沖縄の動向)
■3代大使・橋本宏[2]任命2001年2月23日
在任期間2001年2月23日〜2003年1月17日

2002年11月17日、沖縄知事選で稲嶺恵一氏が再選、翌12月6日、「第10回北部振興協議会」、「第7回移設先及び周辺地域振興協議会」が開催された。

橋本大使着任後の沖縄の政治情勢、基地問題の動向について概観してきたが、この間、橋本宏沖縄大使は沖縄にどのように向き合ったのか。基地問題に対する対応はどうだったのか。

橋本沖縄大使は着任直後の2001年4月10日、人間性、資質を疑わせる発言があった。4月10日付の琉球新報は、感情を剥きだした橋本沖縄大使発言を報道。これが沖縄大使の姿か? 

米軍機の名護市上空の訓練飛行中止を求めた同市議会代表との面談で「分からないのは分からない」「私は聞く耳をもたない」などと声を荒らげ、一部市議の発言を遮ったという。この人の感覚は見当違いも甚だしい。

沖縄大使として、名護市市会議員に対して「私は聞く耳を持たない」。はぁ〜と思った。煌びやかな肩書をちらつかせたつもりだろう。沖縄から見た視点がまったくない。このバランス感覚のなさは何だろう。


「聞く耳持たない発言」について、橋本宏沖縄大使は定例記者懇談会で「感情的になってしまった。最後まで聞き、説明すべきだった」と釈明した。

マスコミ報道に驚いたのだろうか。大使は今週中にも外務省の見解を市議らに伝え、理解を得たいとの意向を示した。(2001年4月10日、琉球新報報道)

外務省沖縄事務所を訪れた市議から説明を求められた際の状況について、大使は「(問題化した)施設局長と市議のやりとりは知らなかった。私はその場でいろいろと聞き、東京にしっかり伝えようと思っていた。

市議の一人から『要請書を出しているのに質問するのは何事か』と言われ、話がとげとげしくなってしまった」と振り返った。

また、大使は「『もっと詳しい説明を』と言われれば、承知していなかったのは事実で申し訳ない」とし、要請に対する説明に準備不足があった点は認めた。
その上で「独立国かどうかが問われている」と切り出した市議の発言を遮り続けたことについて、「あのような発言は思いもよらず、感情的になってしまった。最後までお聞きして私の見解と違っていれば、賛成できないと説明すべきだった」と釈明。

「今後は賛成できないことがあったとしてもご意見を聞き、私の意見も聞いてもらえるようにしたい」と述べた。(2001年4月10日、琉球新報報道)

橋本沖縄大使は、外交官としての資質を完全に失ってしまっている。トンデモナイ沖縄軽視と歴史理解だ。陳腐化した沖縄大使の実態を見た。あぁ〜沖縄大使よ!


posted by ゆがふ沖縄 at 00:07| ◆「時の動き」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする