2017年05月11日

検証・沖縄大使(14)

検証・沖縄大使(14)

(歴代の沖縄大使と沖縄の動向)
■3代大使・橋本宏[1] 任命2001年2月23日
在任期間2001年2月23日〜2003年1月17日

橋本大使着任後の沖縄の政治情勢について述べる。2001年3月6日、普天間飛行場の辺野古移設に関する「第6回代替施設協議会」開催。

6月8日、「第7回代替施設協議会」において代替施設3工法8案が提示し、辺野古新基地建設が具体的に動き出す。「第6回北部振興協議会」、「第4回移設先及び周辺地域振興協議会」、「第4回跡地利用準備協議会」が開催される。

9月4日、「第7回北部振興協議会」、「第5回跡地利用準備協議会」開催。

最も注目されるのは、10月11日、普天間飛行場の移設先、名護市辺野古、豊原、久志代表は名護市と振興策について話し合う「名護市・三区合同委員会行政連絡会議」を発足したことだ。基地を受け入れる見返りとして振興策を求めてきたのである。

基地受け入れは、振興策という名目で「カネ」とリンクする条件整備と見るべきだろう。12月27日には、「第8回代替施設協議会」で「代替施設基本計画主要事項に係る取扱い方針」が決定されたのである。普天間飛行場の跡地利用の促進も具体化していく。

2002年2月3日、名護市長選の結果、岸本建男氏が再選。政府は、基地問題に配慮し、普天間とリンクし4次振計「沖縄振興計画」を決定する。

普天間飛行場問題が追い風になり「新沖振法」を制定、4次振興「沖縄振興計画」につながったのである。

基地と振興策について述べる。新たな沖縄振興法は、従来の社会資本整備の充実に加え、自立型経済の構築を目指すための沖縄の特性を活かした産業振興を柱とする120条に及ぶ他に類例を見ない大型の地域振興立法である。

新沖縄振興法は、復帰プログラムの「格差是正」の考え方を見直し、新たな沖縄づくりとして観光や情報産業、金融特区など戦略的分野で沖縄の自立を促す「産業振興」の基本ツールが盛り込まれた。

沖縄の本土復帰からすでに30年が経過し、復帰に伴う措置として位置付けられた旧法の目的「沖縄の復帰に伴い」、「その基礎条件の改善」の文言は削除された。「沖縄振興開発計画」から「開発」が削除され、「沖縄の自立的発展の実現」が追加されたのである。

2002年10月3日、基地問題は新たな段階を迎えることになる。日米合同委員会においてSACO事案であった「読谷補助飛行場」及び「楚辺通信施設」について前者が全部返還、後者が代替建物工事実施をそれぞれ合意されたのである。

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2017年05月10日

検証・沖縄大使(13)

検証・沖縄大使(13)

(歴代の沖縄大使と沖縄の動向)
■2代大使・野村一成[2] 任命1999年5月11日
在任期間1999年5月11日〜2011年2月23日

環境対策の基本方針は、地域の住民生活および自然環境に著しい影響を及ぼすことのないよう、最大限の努力を行うとある。

代替施設の機能および規模で明らかにしたのは、SACO最終報告における普天間飛行場移設に伴う機能および民間飛行場としての機能の確保を図る中で、安全性や自然環境に配慮した最小限の規模とすると記載されている。

稲嶺沖縄知事、岸本名護市長の普天間飛行場の辺野古移設表明で、新基地建設は具体化していく。政府は県民感情を刺激しないように、環境影響評価を実施するとともに、その影響を最小限にとどめるための適切な対策を講じる方針を示したが、地質調査の対策はなされてなく、ボーリング調査でさんご破壊が指摘され、反対運動に発展していく。

県民を説得するために、必要に応じて、新たな代替環境の積極的醸成に努めることとし、そのために必要な研究機関等の設置に努めると県民に寄り添う姿勢を見せたが、環境関連研究機関は設置されていなく、環境に対する配慮は見られない。

代替施設の使用に関する協定の締結も示された。代替地の安全対策および代替施設から発生する諸問題を講じるため@飛行ルート、A飛行時間の設定、B騒音対策、C飛行機の夜間飛行訓練、廃弾処理等名護市における既存施設・区域の使用に関する対策、Dその他環境問題、E代替施設内への地方公共団体の立入につき地方公共団体の意見が反映したものとなるよう政府は誠意を持って米国政府と協議を行うとあるが、米国政府と協議した形跡はない。沖縄県が立ち会って政府関係当局と名護市との間で協定を締結すると約束したが、実現していない。

このような重要な時期に復帰後2代大使・野村一成氏が着任したが、存在感はほとんどない。様々な立場から沖縄の意見等を聴取したことは見られないし、マスコミでその存在を取り上げられることもなかった。基地問題に沖縄大使がどう向き合ったのか? 沖縄に軋む米軍基地。揺ぎない県民の反対運動は激化していく。時代への対応力を沖縄大使は発揮しているのだろうか? 沖縄大使の姿は見えてこない。形骸化された日本外交の姿が見えてくる。沖縄大使の存在感は失速している。
posted by ゆがふ沖縄 at 00:26| ◆「時の動き」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月09日

検証・沖縄大使(12)

検証・沖縄大使(12)

(歴代の沖縄大使と沖縄の動向)
■2代大使・野村一成[1] 任命1999年5月11日
在任期間1999年5月11日〜2011年2月23日

野村大使着任後の1999年11月19日、沖縄問題が動いた。「第13回沖縄政策協議会」において稲嶺恵一知事による普天間飛行場の移設候補地問題及び跡地利用の円滑な推進等に係る要望を受けて「政府の取組み方針」を了承。

11月22日、稲嶺知事が小渕総理に対して、沖縄県として普天間飛行場移設候補地を「キャンプ・シュワブ水域内名護市辺野古沿岸域」に決定したことを正式に表明した。

12月17日、「第14回沖縄政策協議会」において北部振興・移設先等振興・・跡地利用の3方針を了解するとともに、代替施設に係る安全・環境対策にについて「使用協定」を含め基本的な考え方が了解される。

12月27日、名護市長・岸本建男は普天間飛行場代替施設の受け入れを表明。翌28日、政府は普天間飛行場代替施設及び地域の振興について「普天間飛行場の移設に係る政府方針」を閣議決定したのである。

閣議決定した普天間飛行場代替施設は、軍民供用空港を念頭に整備を図ることとし、米国とも緊密に協議するとある。軍民共用空港は稲嶺知事のブレーンであった真栄城定守氏の発想だ。

建設地点は、「キャンプ・シュワブ水域名護市辺野古沿岸域」で今後、代替施設の工法及び具体的建設場所の検討を含めて基本計画の策定を行うとある。

基本計画の策定にあたっては、移設先及び周辺地域の住民生活に著しい影響を与えない施設計画となるよう取り組むとしている。

代替施設の工法および具体的建設場所については、地域住民の意向を尊重するとしているが現在まで無視され続けてきた。

posted by ゆがふ沖縄 at 00:11| ◆「時の動き」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする