2017年05月05日

検証・沖縄大使(10)

検証・沖縄大使(10)

(歴代の沖縄大使と沖縄の動向)
■初代大使・原島秀毅[1] 任命1997年2月14日
在任期間1997年2月14日〜1999年5月11日

(基地問題の動向)
1997年4月18日、比嘉名護市長が普天間飛行場代替海上施設に係る調査について受け入れを表明。5月1日、キャンプ・シュワブ沖の調査開始。

11月5日、久間防衛庁長官から、海上ヘリポート基本案を名護市、沖縄県及び漁業関係者に対し、協力を要請。

11月21日、沖縄復帰25周年記念式典開催。橋本総理が式辞で「沖縄経済振興21世紀プラン」策定を表明。

12月6日、村岡官房長官訪沖、北部振興策を地元に説明。8日、鈴木沖縄開発庁長官訪沖、北部振興策(沖縄開発庁分)を地元に提示。PR活動に沖縄総合事務局職員が動員。

12月8日、米軍普天間飛行場の返還に伴って海上基地(ヘリポート)を名護市沖(辺野古)に建設することの是非を問う住民投票実施。
有効投票数30906票(賛成:14267票(46.16%)、反対16639票(53.84%)

12月24日、橋本総理・大田知事会談(17回目)。橋本総理・比嘉名護市長会談、比嘉市長は海上ヘリポートの受け入れを表明。

12月25日、比嘉名護市長、記者会見を行い、海上ヘリポートの受け入れと市長辞任を正式に表明。

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2017年05月04日

検証・沖縄大使(9)

検証・沖縄大使(9)

■復帰後の沖縄大使設置の背景B
1996年9月17日、「沖縄問題についての内閣総理大臣談話」に基づき、「沖縄政策協議会」の設置について閣議決定。10月4日、「第1回沖縄政策協議会」が開催された。

米兵による少女暴行事件の発生以降、沖縄問題が日米の最重要課題として浮上したのだ。12月2日には、日米安全保障委員会において「SACO最終報告」を了承。翌3日、「SACO最終報告」を受けて、「沖縄に関する特別行動委員会の最終報告に盛り込まれた措置の実施の促進について」を閣議決定。4日には橋本総理大臣が沖縄を訪問し、米軍基地所在市町村長と懇談する(5日まで)。

1997年1月21日、沖縄問題は国策の最重要課題に位置付けられ、日本政府は普天間飛行場の代替海上基地施設にかかわる調査の実施について、比嘉名護市長等に協力を要請する。

政府は、このような経緯を踏まえて、1997年2月14日、原島秀毅氏を「沖縄大使」に任命。チュニジア大使からの赴任。

なお、沖縄大使の設置について衆議院議員・鈴木貴子氏の質問に対して政府は答弁書を提出している。

■参考沖縄大使に関する質問主意書(要旨)
●平成27年9月11日提出質問第428号
外務省における沖縄大使に関する質問主意書
  質問者 鈴木貴子

三 沖縄大使はいつ、どのような経緯で設置されたのか、説明を求める。

●平成27年9月25日 答弁第428号
衆議院議員 鈴木貴子君提出外務省における沖縄大使に関する質問に対し、別紙答弁書を提出する。

三 について
沖縄担当大使は、沖縄県からの要望等を踏まえ、平成九年二月から任命されているものであり、沖縄に駐留するアメリカ合衆国軍隊(以下「米軍」という。)に関わる事項等についての沖縄県民の意見及び要望を聴取し、これを外務省本省に伝えるとともに、必要に応じ、米軍等との連絡・調整を行う等の業務に従事しているところである。
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2017年05月03日

検証・沖縄大使(8)

検証・沖縄大使(8)

■復帰後の沖縄大使設置の背景A
1996年6月1日、内閣内政審議室に「沖縄米軍基地問題担当室」が設置される。(同室は9月に沖縄問題担当室に改組)し沖縄に向き合うことになる。

同年8月19日、「沖縄米軍基地所在市町村に関する懇談会(島田懇談会)」を設置。島田懇談会の名称は、座長を務めていた慶応大学教授・島田晴雄氏の名前に由来する。会議は那覇市で行われたが、私はすべての会議をオブザーバーとして聴く機会があった。

島田懇談会事業は、日米安保体制下で米軍基地が集中している沖縄の基地所在市町村に対し、基地の存在からくる重圧感・閉塞感を和らげ、将来への希望につながる夢のあるプロジェクトの実現を目的に1997年度から実施された。

国が直接市町村の事業活動に支援することは異例のことである。背景には、1995年7月、米兵による少女暴行事件を契機に反基地運動が起こり、沖縄問題が国政の重要課題となり県民感情を抑える緩和措置として、内閣官房長官の私的諮問機関として設置された。いわゆる基地とリンクした振興策である。

政府が支援すべき事業は、@経済活性化に役立ち、米軍基地所在による閉塞感を緩和し、若い世代に夢を与えるもの、A継続的な雇用機会を創出し、経済白立につながるもの、B長期活性化につながる人づくりに資するもの、C広域的振興や環境保全につながるもの─といった趣旨で実施されたが、経済効果はなく単なる「箱物」建設に公的な資金が費やされた。

予算は内閣府に一括計上し、実施省庁へ移し変えて実施されてきた。基地所在21市町村に888億円(1997年度〜2013年度)の振興予算が投人されたが、地域の閉塞感は緩和されず、経済は疲弊したままだ。

若い世代に夢を与える事業として基地とリンクした形で特別予算が投人されたが、事業目的、自立性のあるプロジェクトの趣旨は活かされていない。採算性が取れない「箱モノ」行政が多く見られ、ランニングコスト負担で市町村財政を圧迫している。

例えば、中の町・ミュージックタウン整備事業は、沖縄市の歴史的背景から培われた音楽芸能を21世紀の新たな街づくりへの大きな可能性を秘めた地域資源活用拠点として「沖縄音楽市場」が整備された。市街地再開発事業により6、795uを確保、音楽広場、セミナールーム、練習スタジオ、レコーデイングスタジオ、サテライトスタジオを設置。ホールの稼働率は50%未満で採算が取れず民間業者へ委託しているが、採算が取れず沖縄市は管理料を補助している。

島懇事業を導入して整備した中核施設「コザミュージックタウン」の施設は、費用対効果の検証もなくスタートしたが、基地受け入れのパフォーマンスとして「箱もの行政」の典型的な事例である。隣接した施設は空き店舗対策として、市敦育委員会、PTA連合会の反対を押し切り、「遊技場・ゲームセンター」を誘致したが、地域振興の在り方も問われる。

基地とリンクした振興策からは雇用機会の創出、経済誘発効果は発生しない。沖縄市の周辺市街地はシヤッターが閉ざされ、地域の閉塞感は緩和されず、経済は低迷している。経済自立や雇用機会の創出など事業目的は達成されず、将来の展望は描かれていない。


posted by ゆがふ沖縄 at 00:35| ◆「時の動き」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする