2015年10月14日

沖縄戦後70年(270)

沖縄戦後70年(270)
■佐藤首相の沖縄百万同胞に贈る言葉(1)
 昭和44年11月21日
  内閣総理大臣 佐藤栄作

沖縄百万同胞の皆様
私とニクソン大統領との会談の結果、沖縄県民の皆様をはじめとするわが国全国民の年来の念願でありました沖縄の祖国復帰が、1972年中に「核抜き本土並み」という国民の総意にそった形で実現することになりました。復帰のための努力を続けてこられた沖縄県民各位の強い支援のたまものであります。

沖縄の祖国復帰は申すまでもなく第二次大戦後四半期にわたって、本土・沖縄の1億国民がいだき続けてきた民族的悲願でありました。

かつて私が沖縄を訪問した際「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国にとって戦後は終わらない」と申しましたように、沖縄の施政権返還問題は、政治の最高責任者としての私にとっても最大の課題であったのであります。私は日米首脳会談を終わった今、ただ感慨無量であります。

今回の沖縄返還についての日米両国の合意は、過去四半期にわたる日米両国の友好と信頼、理解と協力があってはじめて達成された結果であり、同時に、これは将来にわたって日米両国の協力関係が不動のものであることを実証してあますところないと思うのであります。

さて、1972年に沖縄を日本に返還するという合意ができた以上、今後は本土・沖縄双方が協力し、全力をあげて復帰準備に万全を期することが大切であります。

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2015年10月13日

沖縄戦後70年(269)

沖縄戦後70年(269)
■佐藤首相訪沖のステートメント

沖縄同胞の皆さん
私はただ今、那覇飛行場に到着しました。かねてより熱望しておりました沖縄訪問がここに実現し漸く皆さんと親しくお目にかかることができました。感慨まことに胸せまる思いであります。

沖縄が本土から分かれて20年、私たち国民は沖縄90万の皆さんのことを方時たりとも忘れたことはありません。本土1億国民は、みなさんの長い間のご苦労に対し、深い尊敬と感謝の念をささげるものであります。

私は、沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国にとって「戦後」が終わっていないことをよく承知しております。これはまた日本国民すべての気持ちでもあります。

私が、沖縄訪問を決意しましたのは、なによりもまず、本土の同胞を代表して、この気持ちをみなさんにお伝えしたかったからであります。

去る1月のジョンソン米国大統領との会談で沖縄の施政権を早い機会に返還するよう強く要望しました。

また、沖縄住民の民生安定と福祉向上のため日米相協力することについての意見の一致をみたのであります。

私はこの基本的立場に立って、沖縄の現実の姿を、直接この目で確かめ、耳で聞きできるだけ広く深く当地の実情をつかんで、これを日本政府の沖縄施策のなかに具体的に生かしたいと存じます。そしてこのことは私の責任であるとともに、沖縄のみなさんの期待にこたえる所存であると考えます。

私は、ここに、沖縄90万同胞の心からの歓迎に対し深く感謝するものであります。また、ワトソン高等弁務官、松岡行政主席はじめ関係者の温かいお出迎えに対し、厚くお礼申し上げます。

    昭和40年8月19日
      内閣総理大臣 佐藤栄作



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2015年10月10日

沖縄戦後70年(268)

沖縄戦後70年(268)
■B52爆撃基地化に反対し同機の即時撤収と一切の戦争行為の即時取り止めを要求する決議
(1968年2月10日 琉球政府立法院決議)

宛先 米国政府、米国防長官、琉球列島高等弁務官

本院は、一九六五年七月二十九日、米軍B52戦略重爆撃機約三十機が沖縄からベトナム戦争に出撃した事実に対し、翌三十日、米軍が沖縄基地からのベトナムへの出撃及び沖縄を戦争と巻き込む一切の行動を即時取止めるよう院議をもって強く要求した。

しかるに、米国は今回これを無視してベトナム戦争の激化とプェプロ事件の惹起による米国の北朝鮮間の緊迫化に伴ってアメリカの核攻撃力の主力と言われるB52爆撃機を二月五日、嘉手納飛行場に移駐し、同基地を拠点として連日作戦行動をしていると見られる状況にある。

更に、米国防省当局が西太平洋方面へのB52爆撃機を増強したとの報道は、沖縄県民に戦争の恐怖と不安を与えている。

第二次世界大戦で悲惨な戦禍を持って体験した沖縄県民にとって、沖縄がB52爆撃機の出撃基地として使用されるということは断じて許容できない。

よって本院は、県民の生命と財産を守り、その安寧を図るためB52爆撃機の飛来に抗議し、同機の即時撤収を要求するとともに沖縄の出撃基地化に反対し、沖縄を戦争に巻き込む一切の戦争行為を即時取止めることを強く要求する。

 右決議する。
  1968年2月10日
   琉球政府立法院

注:琉球立法院は、同日付で沖縄県民の切なる要求が実現するよう日本政府に協力方を要請した。
 ***
■プエブロ号事件
1968年にアメリカ海軍の情報収集艦プエブロが朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に拿捕された事件。

■ベトナム戦争と沖縄
ベトナムで戦死した米兵の遺体は普天間飛行場に運ばれ、冷凍して米国へ搬送された。アメリカ施政下の沖縄・嘉手納基地からはB52戦略爆撃機が飛び立ち、ベトナムに爆弾の雨を降らせた。

爆弾や毒ガス、軍服、死体袋、車両、電気製品など、アメリカ軍にとって必要な物資の一部を日本がつくり、日本の産業界は「ベトナム特需」で潤った。

沖縄米軍基地建設は日本のゼネコンが受注し、戦後の日本経済は「沖縄を踏み台」にして経済成長を遂げた歴史がある。
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