2015年10月03日

沖縄戦後70年(262)

沖縄戦後70年(262)
■渡航の自由を制限する布令第147号の廃止と渡航手続きの民移管に関する要請決議
(1960年7月12日 琉球政府立法院決議)

沖縄県民の祖国への旅行は、布令第147号により制限を受けている。如何なる目的にせよ世界人民が享受している移動の自由に対し、制限を加えることは絶対に許されるべきでない。同布令は国連憲章にもとるだけでなく大統領行政命令にも違反する。

本土において沖縄県民は日本国憲法のもとに日本国民としての取り扱いを受けている。

従って祖国への渡航は沖縄県民たる証明で十分足りる。特定の人に対する補助申請の要求は基本的人権を侵害するものである。

よって琉球政府立法院は、アメリカ民政府が同布令を速やかに廃止し、県民の要求に応える渡航手続きを民に移管するよう強く要請する。

右決議する。
 1960年7月12日
  琉球政府立法院

*****
■沖縄から本土への渡航
1955・8:布令147号「琉球住民の日本旅行管理」
1960・3・7:布令改正「琉球住民の渡航管理」
1967・7・6:布令改正7号によって9月15日以降は、日本政府南方連絡事務所を経由して日本政府へ身分証明書を申請

●米軍発効のパスポート
琉球住民○○○は日本へ渡航するものであることを証明する。
琉球列島高等弁務官

●日本政府発行のパスポート(布令7号改正後)
日本人○○○は日本へ渡航することを証明する。
内閣総理大臣

posted by ゆがふ沖縄 at 00:04| 歴史の証言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月02日

沖縄戦後70年(261)

沖縄戦後70年(261)
■布令第116号及び布令第145号の廃止に関する要請決議
(1960年7月11日 琉球政府立法院決議)

アメリカ合衆国軍隊に雇用されている労働者は、布令第116号(1953年8月18日)によって、労働基本権の制約を受けている。また労働組合を組織するにその自主性を拘束する布令第145号(1955年3月18日)が存在し、労働者の組合結成をさまたげている。

労働基本権は、自由と平等を基調とする各国の憲法の認めるところであり、大統領行政命令においても当然保障しているものと解する。

労働者の経済的社会的地位の低い琉球において、労働者が自らその生活を向上させ、権利を確保するには、組合の組織化と更に使用者の理解と施政権者の労働者に対する保護政策を必要とする。

また、労働者を保護するに、法の精神を異にする布令及び民法の二つの法が存在することも不自然な姿である。かかる観点からして、労働法の民立法への一本化の要請は、琉球住民の数年来の渇望である。

われわれは、労働者が団結して自主的に組合を組織し、また自らその代表者を選出することの完全なる自由の行使を保護するとともに、アメリカ合衆国軍隊に雇用されている労働者にも、民立法によって等しく労働基本権が保障されるよう布令第116号及び布令第145号の速やかな廃止を要請する。

右決議する。
 1960年7月11日
  琉球政府立法院


posted by ゆがふ沖縄 at 00:06| 歴史の証言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月01日

沖縄戦後70年(260)

沖縄戦後70年(260)
■土地新規接収並びにミサイル兵器持ち込み阻止に関する要請決議
(1960年3月29日 琉球政府立法院決議)

宛先 琉球列島高等弁務官

去る3月10日、ブース高等弁務官は八箇所にミサイル・ホーク基地設定のため約19万6848ヘクタールの土地を新規接収することを発表した。

軍用地の新規接収は、米琉双方の新土地政策の趣旨にもとるものであり、また広大な土地を軍用地に接収されている現在、高等弁務官発表の基地設定により生ずる如何なる附随的利点があるにしても住民は軍用地の新規接収に強く反対している。

更にミサイル兵器の持ち込みは、基地強化のあらわれであり世界の趨勢に逆行するものであることを憂うるものである。

よって琉球政府立法院は、軍用地の新規接収とミサイルの兵器持ち込みの中止方を院議をもって強く要請する。

右決議する。
 1960年3月29日
  琉球政府立法院

* * *
■米軍の土地接収
「沖縄米軍基地建設で日本経済は息を吹き返す」
〜基地建設資金は日本に還流〜

沖縄を占領した米軍は占領の名のもとに銃剣とブルドーザーで県民の土地を強制接収した。米軍基地建設が本格化したのは、朝鮮戦争が勃発した1950年。米国は50年から53年度まで2億7千万ドル(当時の為替レートで972億円)の資金を投入する。現在の貨幣価値に換算すると2兆6千億円。沖縄基地の原型ができたのだ。1960年代にかけて基地建設は拡大していく。基地建設資金の総額についてUSCARは公表していない。冷戦構造が本格化したからだ。

1951年から軍用地支払運動が起こる。52年11月には「契約権」を公布し、契約による土地使用が始まる。契約期間が20年という長期期間であり、補償額も少なかったため地主が反対し失敗に終わった。

53年4月「土地収用令」を公布し、強制収用の蛮行に出た。これに反対する闘争が各地で展開し、「島ぐるみ闘争」が起こった。

沖縄の基地建設は、戦後疲弊した日本の土建業の復権のきっかけにもなった。戦後、日本は国破れ公共事業のない時期に、沖縄基地建設で息を吹き返したのだ。日本は沖縄を踏み台にして戦後の経済成長を遂げた。捨て石・沖縄は今でも日本安保の犠牲になっている。

歴史は繰り返す。苦しみと悲しみは沖縄に付きまとう。沖縄・辺野古。今、沖縄で何が起こっているか。沖縄を知れば知るほど国家の「歪み」が分かる。

日本人よ! 目を開いて沖縄の現実を見よ。耳を澄まして沖縄の声を聞け。
新基地建設の重い蹉跌を振り解き、沖縄を取り戻したい。
posted by ゆがふ沖縄 at 00:01| 歴史の証言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする