2017年02月21日

ボブ・ディラン「風に吹かれて」

ボブ・ディラン「風に吹かれて」
〜人はどれ位の道を歩めば、人として認められるのか〜
 
ノーベル文学賞に輝いたボブ・ディラン。アメリカの輝かしい歌曲の伝統の中で、新しい詩的表現を生み出してきた。

ボブ・ディラン「風に吹かれて」の歌詞が沖縄と重なる。人はどれ位の道を歩めば、人として認められるのか。

白い鳩はどれ位海を乗り越えれば、砂浜で休むことができるのか。

どれ位の砲弾が飛び交えば、永久に禁止されるのか。人々は何年経てば、自由の身になれるのか。答えは風に吹かれている。

ボブ・ディランは時代や体制への糾弾に始まって、シュールな心象風景や関係性や朴訥な愛を歌った。おびただしいほどの情景と心象、そしてイメージを紡ぎ出している。

沖縄に吹く風はどうか? 辺野古で、高江で権力の風が吹いている。大阪県警の警察が基地に反対する沖縄県民を土人と呼んだ。松井一郎大阪知事と鶴保庸介沖縄担当大臣がそれを擁護した。

昨年暮れに元毎日放送記者・西村秀樹さんと那覇市栄町の居酒屋で泡盛を飲み機会があった。

「沖縄土人発言は植民地意識だ」。「差別を許さないという姿勢を明確に打ち出すべきだ」・・・西村さんの言葉が心に残る。

ボブ・ディランの言葉に共感する。「世の中で一番の悪党は、間違っているものを見ても、それが間違っていると頭でわかっていても、目を背けるやつだ」

辺野古新基地を巡り国が沖縄県を訴えた裁判で、県側が敗訴した。最高裁は弁論を開かず、自治侵害の訴えを棄却した。最高裁判決は県民との隔たりが大きい。沖縄から民主主義を奪い去る判決だ。行政に追随した司法判断に失望を禁じ得ない。色褪せた司法の姿があった。

人々の悲しみが聞こえるのか・・・ボブ・ディランがしゃがれた声で淡々と歌う歌詞は今の沖縄にもつながる。

* * *
辺野古で、高江で、生きるために苦しむ人がいる。沖縄戦を生き抜いた古老の姿を見るのがつらい。生きるために傷つき、それでも故郷を守る・・・・。苦悩は深い。母なる辺野古の海が泣いている。

ボブ・ディラン「風に吹かれて」を聴きながら沖縄の平安を求める。

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2017年01月30日

権力と「肩たたき」

権力と「肩たたき」
―不正な振付師はいらない〜

1月27日付の沖縄タイムス記事を見て驚いた。幹部に促されて沖縄県病院管理局長・伊江朝次氏が知事あてに退職願を出したという。局長を交代させる県の人事方針が覆った昨年の余(よ)燼(じん)がくすぶっており、県幹部の圧力があったことが報道されていた。

縄張り争いのススメだろうか? 最近の沖縄県庁は摩訶不思議なことが多い。安慶田前副知事が教員採用試験で特定の受験者を合格させる口利きと、教育庁の幹部人事に介入して辞任した直後の出来事である。教員採用試験への政治介入。報道を見ると沖縄県政の危うい技巧と言わざるを得ない。不正の振付師はいらない。

権力の振る舞いは醜い。不毛な権力の行使は批判の対象になりやすい。

組織にとって権力の独占化が進むと、不信感が増幅する。組織では異説を唱えると肩たたきの「お手本」とされる例がある。肩たたきに合うと「孤立無縁」というのは現代官僚の一面かもしれない。

一方、幹部は退職後も天下りを繰り返し、色彩を強めて優雅な人生を歩む。沖縄県の外郭団体の長がその例だろう。権力の縦割り効果である。

国の機関に携わっていた時の話をする。基地受け入れの見返りに基地所在市町村に「島田懇談会事業」が実施された。1千億円の予算が担保された。金武町のキャンプ・ハンセン周辺に街灯が設置されることになった。

沖縄防衛局の職員が「島田懇談会」の委員をキャンプ・ハンセン前の外人相手の「ナイトクラブ」に案内するという話が舞い込んできた。那覇から金武町まで案内のためタクシー券1冊の提供依頼があった。夜の飲酒が目的だ。沖縄防衛局が案内するからタクシー券は沖縄総合事務局で負担してくれという。即刻断った。甘える側の体質を疑った。国民の税金である。後日、このことが幹部に伝わり叱責されたことがある。今の時代には考えられない感覚である。

防衛官僚の処世術に裏技はつきものだろうか? 不信を生む機略もある。おかしいのはおかしいと言わねばならない。行政のテクノクラートは崩れている。

内では見えなかった問題点が外からよく見える。目標なき時代・・・陳腐化した行政(天谷直弘の官僚論)に同感する。
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2017年01月27日

問題を見誤った「口利き問題」

問題を見誤った「口利き問題」
〜隠れた事実「何が正しいか」〜

安慶田前沖縄県副知事が口利き問題で諸見里明前教育庁を刑事告発した。1月26日、NHKの全国放送を見て驚いた。県内のテレビ局も放映しているが、泥沼化した醜態に県民はどのように受け止めているだろうか。

県民とかけ離れたところで教員採用試験の口利き問題が司法闘争に入るのだろうか。非生産的な行政の醜態を駆り立てるのは何だろうか。

複数の具体的証言が明らかになっているが、安慶田氏は否定する。一般的な問題としての理解を欠き、その場しのぎの記者会見を見ると、安慶田氏の癖、習慣、人間の気質を映し出している。発言内容はマスコミ報道と大きくかけ離れている。

1月26日の琉球新報電子版によれば、「安慶田光男前副知事による教員採用試験への口利きと教育庁幹部人事への介入があったと諸見里明前教育長が文書で証言したことを受けて、安慶田氏は26日午前、県政記者クラブで会見し「前教育長の文書記載や同様の説明は事実ではなく、このようなつくり話で名誉を侵害され、耐え難い苦痛を与えられたことから、前教育長を名誉毀損罪で刑事告発した」という。

「諸見里前教育長は県教育庁に提出した文書で、2015年8月ごろの教員採用試験での口利きや15年1月と16年1月の教育庁幹部人事への介入について、自身が副知事室に呼ばれて依頼を受けたことや、受験者のメモを渡されたことなど詳細を告発している」(1月26日琉球新報電子版)

1月26日NHK午後7時の全国放送は、那覇地検に告発した理由を 「つくり話で名誉を侵害された」と安慶田氏の発言を流していた。

1月26日の安慶田光男前副知事の記者会見の模様を各テレビ局は放映していた。県教育庁の幹部人事を巡っては「教育関係者の要望を前教育長に伝えた記憶は、わずかながらある」と述べ、介入を事実上認めた発言が飛び出した。

前教育長は受験者のメモを渡されたことなど詳細を告発しているが、安慶田氏は「つくり話」と刑事告訴の理由を述べた。コミュニケーションの言葉としては、県民はどう受け止めるのだろうか。

ソクラテスは「大工と話すときは大工の言葉を使え」と説いたが、受け手が期待するものを知ることなく、コミュニケーションを行うことはできない。具体的証言が明らかになっているが、「つくり話」という言葉は、受け手の期待を破壊し、予期せぬことが起こりつつある、と思うがいかがだろうか。

■ドラッカー名言集に次の言葉がある。
「問題を見誤ると失敗する」
「誰が正しいかではなく、何が正しいか」

*つくり話という言葉は本質を見誤っていると思うが・・・。
posted by ゆがふ沖縄 at 00:10| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする