2016年09月26日

■上間自治会「敬老会」に参加して

■上間自治会「敬老会」に参加して
「人は成熟するにつれて若くなる」

那覇市上間は文化、芸能の宝庫だ。9月25日、上間自治会敬老会があった。70歳になると招待される。もてなしもすごい。定年後のこれからの人生を生きる活力に満ちた地域である。

高齢化社会、長寿社会と言われるが、出席者は青年そのものだ。青年会活動も盛んである。若者から中年、壮年、老人まで一体感がある。伝え聞くところでは、上間は琉球王府から明治40年まで真和志地域の政治の中心地であったという。上間の獅子舞は琉球王府からの伝統らしい。

行事、連帯が熱中し、地域に生きる長寿を保証する。平均寿命も長い。集落は「絆」で結ばれている。獅子舞も有名だ。婦人会の芸能は参加者を魅了する。「高齢新人類」と言えようか、活力がある。ふれあいがある。老人が歌うカラオケはレベルが高い。

最近は県外からの移住者も増えている。老後の異文化の世界と言えようか。とにかく独特の集落である。生き生きとした青年、若々しい婦人会、老人は生きがいに価値観を見だす。はつらつとしたエネルギーは他人にも自然にも優しい。地域の文化かもしれない。

参加者の会話もすがすがしい。老人の長生きの秘訣を聞いた。食事がおいしい(快食)とのことである。くよくよしないともいう。よく眠れる(快眠)をあげていた。快便も健康の秘訣だという。宿便は健康の大敵だという。食事の大切さを知った。

あなたの健康法は? 僕には特別な健康法はない。地域に溶け込む喜びのヒントを見つけた敬老会であった。敬老の日に「老人頭脳」を学んだ。心が癒された。ウチナーグチ(沖縄語)の会話を楽しんだ。第二の人生を楽しむには最高の場所だ。

いかにして人は良く「老いる」か。文豪・ヘルマンヘッセの言葉を思い出した。若いころ、よく読んだが、最近、文豪の書物から遠ざかっていたが、若いころ、東京・神保町の古本屋に通っていたころを思い出した。神保町は貧乏な学生時代、孤独な散歩を楽しんだ場所である。

敬老の日に文豪ヘルマンヘッセの著書を読み直した。人が老いて学ばなければならない知恵がいっぱい詰まっている。「人は成熟するにつれて若くなる」・・・賢者からの贈り物である。ヘルマンヘッセのひとつひとつの言葉の中には確かな響きがある。

夏の終わりだろうか。2階の窓から静寂な秋の風が吹きちぎる。南風原方面の夜景を見ながら「赤ワイン」を飲む。過ぎ去った若いころを思い出すと妙に日が過ぎ去っていく。今日も一日老いていく。
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2016年08月16日

旧盆「ウンケー」

旧盆「ウンケー」
〜魅力アップの自治会活動〜

8月15日から17日まで、沖縄は旧盆である。15日はウンケー(お迎え)で精霊を迎える盆入りの行事。私は1974年6月23日、手術の失敗で9か月になる次女を失ったが、旧盆行事の精霊のウンケーを迎えることができた。

人間の運命は不思議なもので、生まれて100日記念の日に南部戦跡にいったがその翌年の6月23日、慰霊の日に亡くなった。

当時、私はある病院の医師の処方に疑問を感じ、沖縄タイムスの「茶飲み話」に投稿した。投稿内容は「医は仁術なり」というタイトルで、密室での医療行為は自閉の砦であり、それに触れることはタブーであったと悲しみを抑えることができず、人間の命について書いた。返還直後の沖縄には専門医がいなく、臨床実験的要素が強い脳外科手術であった。

6月23日の「沖縄慰霊に日」と「旧盆のウンケー」は、私にとって人間の「命」を考える日である。

小さい仏壇の掃除をし、位牌を清めた。祖先の仏壇にも手を合わせた。生まれたころの写真を見ると涙が止まらない。小学2年の孫が訪ねてきた。旧暦7月13日は、沖縄は各家庭で「精霊」を迎える日だよ、と説明するとうなずいて聞いていた。

私が住む那覇市の集落は高台にある。毎年、「旧盆のウンケー」はエイサーが行われる。地域の伝統行事として祖先を大切にし、共同体意識が盛り上がる。文化の香りがする集落であり、琉球王国時代から地域独特の芸能、棒術、エイサー等が数百年も続いているという。

私は地域が持つ集落の文化に誇りを持っている。私が住む集落は「文化が自立」しているからだ。沖縄振興一括交付金で、歴史遊歩道が整備されつつある。地域文化を大切にし、若者が元気で盆行事を展開する。住民と伝統文化が融合する。

那覇市内でも活性化のある集落で、地域と人間生活の在り方が色濃く感じられる。主体的な地域の価値が、住む人々の連帯が根付いている。地域の伝統文化の香りがする集落で、魅力アップの自治会活動は住む人々の心を豊かにさせる。 三線と沖縄の唄が天空に響く。文化が地域を盛り上げる。
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2016年07月21日

■政治家の情報学『戦略の失敗』

■政治家の情報学『戦略の失敗』
〜選挙は人にあり〜

7月14日付のブログ、『ギブ剛候補・落選の波紋』を見た数名の知人からメールが寄せられた。なぜ島尻安伊子氏は大敗したのか。

おおさか維新が島尻氏とセットで比例区『ギブ剛』氏を売り出したのは、情報感性の欠落だったというものであった。島尻氏の言動から何を学んだのか? 選択の時代をいかに読み切るか。

選挙とは人間力への評価である。島尻氏の人間力は県民に通用しない。変転極まりない言質をみれば分かる。

参院選後の報道で沖縄2紙も指摘していたが、島尻氏は公約破棄の経緯を持つ。その政治姿勢は『県民との断層』だ。県民の立ち位置ではない。権力の立ち位置で沖縄と対峙してきた。県民は政治家の行動には敏感だ。

島尻氏大敗は県民感覚に裏打ちされている。『おおさか維新沖縄支部』、『政党そうぞう』が『島尻あい子』氏を推薦したことは、政治情報学では『感性欠如』と表現される。

『情報整理学』の視点でいえば、『ギブ剛』氏が島尻氏とセットで選挙戦に出たことは、公約破棄の島尻氏と政治理念を共有したことになる。政治家の背骨を選挙で見せたが、『ギブ剛』氏の敗北は意外なところにあった。

歴史を振り返ってみよう。下地幹郎氏が大臣の要職にあった時、辺野古移設を容認し、直後の衆議院選挙で県民は『ノー』を突きつけた。このことは際立って指摘された。県民感覚に裏打ちされた落選だった。

『ギブ剛』氏落選を見ると歴史から学ぶ学習効果は活かされていない。情報力の現代では、政治家の資質・理念が県民の目にさらされる。島尻氏の『公約破棄』は見苦しいものであった。選挙は肩書よりも『信用』が重視される。

世界的な経営者『ビルゲイツ』は『指先に情報』をというマルチメディアの普及に成功した。『ビルゲイツ』は経営理念やビジョン、顧客を重視した経営戦略で世界的指導者になった。経営は情報を制する者が市場を制すると語る。MBA教科書に出てくる言葉だ。人間力の行使は顧客重視である。この言葉は、政治の世界にも当てはまる。

政治は県民の中にある。県民とどう向き合うか。選挙はやはり『人にあり』というべきか。県民が価値情報を選択する時代である。

県民の政治意識は高いレベルにある。政治家に求められるのは『県民を見る眼』である。

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