2013年12月18日

沖縄復帰対策はどのように進められたのか(8)

沖縄復帰対策はどのように進められたのか(8)


■輸出入制度
 輸出入については、復帰後は本土諸法令を適用するが、県民生活、関係企業への影響を緩和するため品目、業種ごとに輸出実績の尊重、輸入については特別の配慮措置を講ずる。

復帰前の沖縄では製造用原料(肉・くず肉調整用製造用、還元乳バター、ビール製造用麦芽、農薬製造用化学品、菓子製造用乾燥豆)、発電用石油関税、生活消費物資(バナナ、オレンジ、ハム・ベーコン、ランチョンミート、ウーロン茶)等は無税もしくは低関税が適用されていた。本土の関税を適用すると価格が大幅に上昇し、企業活動、県民生活に著しく影響を与えるので復帰特別措置で暫定措置を講ずるものである。


■観光税制
 沖縄の観光産業の振興に資するため、沖縄から出域する者が購入する特定の物品に対する関税、内国消費税については、復帰後も一定期間現状の税負担を維持する特別措置を講ずる。沖縄から出域すると香水、時計等舶来品は免税が適用される制度。

■道路の通行区分
 沖縄における車両及び歩行者の通行区分は一定期間、現状どおり(車両は右、歩行者は左)とする。沖縄の交通区分は「車は右側通行」のアメリカ式の交通方法であったが、1978年(昭和53年)730日に本土並みに「車は左側通行」に切り替えられた。
 道路交通に関する国際条約では1国1交通方法が原則となっている。

■郵政事業等

沖縄で実施されていない積立郵便貯金、定期郵便預金、郵便振替、簡易生命保険等は復帰後速やかに実施する。

電信電話の制度、料金は復帰と同時に本土並みとする。


■免許資格等
 沖縄法令により教員免許を授与した者は、本土法令で授与された者として取り扱う。
 介輔・歯科介輔沖縄の医師不足と医療の確保に寄与するために、従来どおり医療を行うことを認める。


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2012年02月22日

7.高等弁務官の沖縄支配(8)



シリーズ:検証・戦後67年の沖縄
7.高等弁務官の沖縄支配(8)

■キャラウェイ高等弁務官の演説全文(4)
(1963年3月5日:ハーバービュークラブ)

3.ポール・W・キャラウェイ陸軍中将.jpg 琉球立法院も同様にその責任に応じた活動をすることができなかった場合がある。歴史をさかのぼるまでもなく1962年の議会に適切な例がある。


1.医療法案は病院、診療所および助産院が一般大衆保護のための最低基準に適っているか、いないかを確かめるために必要な年次監査を規定しなかったのである。法律違反に対する刑が専門的水準を維持する上に全く不十分であり、また、不法営業を除去したり、厳重に防止することもできなかったのであろう。

  2.立法院は、その労働者災害保障保険法案の草案の中で労働者が被った業務上障害のため、雇用者が当然も持つべき負担額を納税者に負わせるように法案を書き表して、納税者の税金の不当な使用を許可しようとしたのである。


 立法院は、行政府と同様、琉球住民の利益のため必要とされているすべての法律を制定する権限を委任されているのである。立法院がそれをなし得なかったことに対して、高等弁務官が立法院に十分な権限を委任しなかったり、その行動に対する責任を与えなかったとして、高等弁務官のせいにして逃れることはできないのである。

 司法部門は、その義務と責任の性質上、責任を引き受け、それを遂行するのに最も優れた記録を持っているのである。したがって司法府はおそらくもっとも広範囲の責任を持っているのである。しかし、ここにも法律上迅速な裁判をなす場合、それをよほど遅らせたり、法曹人の職業的水準が望まれているよりも低いのを黙認している例があるのである。

◎偽りの「住民の願望」を見極めよ
IMG_3307.JPG

  これらのことからどういう結論が得られるのであろうか。私はなぜ誤りと失敗について、長々とこのような話をしているのであろうか。私が意図したことは、架空の理論の核心を深く探求し、それが何であるかを見極めるように私たちを導くことであった。

 今日、琉球には選択と行動の自由がある。諸君の政府は琉球の社会の要求を満たすための、すべての必要な権限を委任されているのである。


 この社会の政治的、経済的あるいは社会的分野は、いずれもいちいち手を引いて教えられている段階にあるのではないのである。また、政治的に隷属の身分にあるのでもなければ、自身で誤りを犯すことを許されてもいないのである。

 「自治」やすべての拘束を受けない完全な自由や責任、または実証された能力を伴わない支配権力を要求する叫びは、偽りの「住民の願望」である。それは意識的になされようと、また気まぐれになされようと、無能力や無責任、並びにそれに対して権限を与えた社会に対する不忠実を隠すかくれ蓑である。


 そうでなければ、それは社会の他の人々を利用して私腹を肥やしている特定の利益および特殊の利権のためのものである。それが何であるかを見分けてもらいたい。そして、それを拒絶してもらいたい。それは、事実、下働き政治屋といかさま経済人に残された最後の架空の理論である。(終わり)

 
 写真:米軍統治下時代は高等弁務官が執務していたキャンプ・瑞慶覧司令部(宮田撮影)


(出所:南方同胞援護会『沖縄問題基本資料集』昭和43年11月)

☞次回から琉大生が見た「沖縄の基地問題」についてシリーズで掲載します。 








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2012年02月21日

7.高等弁務官の沖縄支配(7)

シリーズ:検証・戦後67年の沖縄

7.高等弁務官の沖縄支配(7)


 

■キャラウェイ高等弁務官の演説全文(3)

 (1963年3月5日:ハーバービュークラブ)

3.ポール・W・キャラウェイ陸軍中将.jpg
◎委譲責任を拒否した琉球行政府、立法院


 琉球政府の立法府や行政府のこれまでとった措置について客観的に検討すれば、何人たりともこの政府がある場合においては責任を果たし、効率的であったが、また一方では無責任で効果的でなかったと結論付けざるを得ないのである。効果的でかつ責任ある措置によって特色づけられている分野においては、ほとんど自動的により大きな責任を得たのであり、また今後とも継続して責任をえられるであろう。


琉球政府は提供された権力を躊躇なく取り入れたが、これまで幾度となく同政府に委任された責任を受諾しなかったのである。その1、2の例をあげて話してみたいと思う。



1.琉球政府は失業保険制度が制定されたとき、その資金の管理者にされたのである。しかし、同資金は琉球政府のものではないのである。その資金は被雇用者や雇用者が納入した者であり、それから利益を受ける労働者に所属するものである。琉球政府は単に、その資金を労働者のために保管しているのに過ぎないのである。しかし、同資金を労働者の利益以外の目的のために流用しようとしたことが、これまでに幾度となくあったのである。同資金の保全にとっての脅威は、やっと最低必要な保護策が立法されるまで続いたのである。

2.琉球政府は、労働争議の一部である小さな暴力になるかもしれない行為と、争議の一部ではなく、実際に刑事上の行為である暴力行為とを区別することをこれまで一貫して拒否してきたのである。政府は労働争議中のすべての行為を、争議の一部とみなす傾向があったのである。庫の主張は、法律的見地から支持することはできないのである。これは、その平和と安隠を保つため社会に対して責任を持つ当局によって、全社会を相手として犯された欺瞞行為である。そして、これは琉球政府の方で責任を取ることを拒否することになるのである。

3.西原地区における二つの競合する製糖工場の問題は、責任回避の一例である。道をへだてて二つの製糖工場を設立し、同じ農民からサトウキビの奪い合いをさせることに経済的な妥当性がないことは知られていたのである。それにもかかわらず、琉球政府は二つの製糖工場を許可したのである。この措置には、その地域の住民への、ひいては琉球経済全般に対する影響についての考慮がなされていなかったのである。今日、農民も工場側もこの問題および少なくともこれと性質を同じくするもう一つの問題に対して、無謀にも無責任であった琉球政府も、砂糖産業を合理化することを狂気のように試みており、その反面それと同時に他地域からの競争に対処するため、より大型の、したがってさらに小数の製糖工場にする決裁を避けようとしているのである。

4.
多年にわたって琉球の銀行は、ほとんど完全な許可証を受けて運営を許されてきたのである。私は自由という言葉よりむしろ許可証という言葉を用いる。というのはここでもまた、私たちは、銀行と政府による信用機関の甚だしい濫用を見出すからである。この分野における不正行為の一例として、理事たちは彼らが経営している営利会社に無担保貸し付けを行うことが認められていたのである。これらの資金は、銀行に彼らの貯金を任せた大小多数の預金者の預金から出たのである。このような行為は他国ではほとんどどこでも重罪となるのである。琉球政府は、これに対して措置を取ることを拒否し、その代り弱々しくもその責任を回避して、米国民政府にそれを転嫁しようとしたのである。

  私は琉球政府の行政部門がその責任を果たし得なかったか、または効果的でなかった状態の例は他にもあるが、その中からほんの二、三の例を述べたにすぎないのである。同時に行政府は、その住民によって寄せられた信頼に応えるために、必要なすべての責任と行動の自由を持っていたのである。

(出所:南方同胞援護会『沖縄問題基本資料集』昭和43年11月)



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