2012年01月30日

7.高等弁務官の沖縄支配(3)

シリーズ:検証・戦後67年の沖縄 

7.高等弁務官の沖縄支配(3)


 第四代高等弁務官のアルバート・ワトソン中将6481日〜66111日)は、1909年イリノイ州生まれ。韓国第10軍砲兵隊司令官を務め、ミュンヘン第24師団砲兵隊司令官、ベルリン駐留米陸軍指導官兼総司令官から高等弁務官に就任。

ワトソンはキャラウェイの強硬政策を修正、日本復帰に向けて日本政府との接触が緊密化するなか、住民を尊重する柔軟な姿勢で前任者とは対照的にソフトムードで多くの布告、布令を改廃した。

1962年、ケネディ大統領は沖縄住民の安寧と福祉及び経済発展を増進するための新政策を発表。これを受けて1962年9月13日、日本政府は琉球政府に対する経済援助について閣議了解し、琉球列島米国民政府と協議を開始した。ワトソン弁務官は、ケネディ新政策の日米協調路線及び日本政府の財政援助金の実施などの現実路線を重視するようになった。日本政府は1963年度予算で琉球政府に対する財政援助として101,283万円を計上した。同年、米国民政府は613,543万円の財政援助を行った。


 第五代高等弁務官のフェルディナンド・T・アンガー中将66112日〜69117日)は、1913年ペンシルバニア州生まれ。第2次大戦中は砲兵将校としてヨーロッパ戦線に従軍。朝鮮戦争時に米第一砲兵軍隊長を務めたほか、フランス、ドイツでの海外勤務経験を経て、高等弁務官に就任。日本本土と沖縄の一体化路線、日本政府から対沖縄経済援助増額などの橋渡し役を果たした。

アンガーは自治権拡大を求める住民運動に対して682月、行政主席の公選制度を容認。同年11月には米国占領下で初の沖縄住民による行政主席選挙が行われ、革新統一の屋良朝苗氏が当選した。

主席公選で沖縄返還の機運が盛り上がった。1967130日、米上院外交委員会で、ライシャワー前駐日大使は「日本が国防に関連して沖縄を考えるなら、米基地保有のまま沖縄諸島を返還の可能性あり」と証言、外交委員長は「1970年までに沖縄返還」を示唆した。同年1027日、アンガーは米議会に呼ばれて「強力な基地維持のため、沖縄の施政権を継続保持」と証言する。1114日、日米首脳会談で、共同声明が発表され「沖縄返還は継続協議」となり、沖縄と本土一体化のため「日米琉諮問委員会」が設置された。


 第六代高等弁務官のジェームス・B・ランパート中将69118日〜72514日)は、1914年ワシントンDC生まれ。第2次大戦中はルソン島攻撃、マニラ解放軍に参加。フィリピン第9軍団工兵隊の技術将校となる。ワシントンで「マンハッタン計画(原爆製造計画)」や米軍部特別兵器計画を手がけるなど、原子力の軍事利用と密接な関係を持つ。中将昇進とともに国防省の副国防次官補を経て高等弁務官に就任。

 19691121日、佐藤・ニクソン会談段で「日米共同声明」が発表され、沖縄の祖国復帰が1972年度中に実施されることが決定すると、197033日、沖縄現地に復帰準備委員会が発足。復帰準備委員会は日本政府から派遣された大使、米国政府を代表する高等弁務官によって構成され、琉球政府の行政主席が「顧問」として参加した。

 復帰準備委員会の主な任務は、@復帰準備の原則・指針にしたがい、現地でとられるべき措置および実施計画の確定A復帰準備についての日米両国政府に対する必要な勧告の作成および委員会の活動につき、随時報告することなどが定められた。この委員会を通じて、琉球列島米国民政府の権限委譲や日本政府の行政的関与などが合意された。

沖縄復帰が確定するとランパートは本土・沖縄一体化路線を踏襲した。ランパートは毒ガス撤去、B52爆発事故をきっかけとする24ゼネストの回避、基地に関連する事件・事故処理、基地周辺地域の治安・安全問題に対する住民への不満の対応など沖縄復帰を前提に柔軟な姿勢を示した。

最後の高等弁務官として日本・沖縄一体化政策を進めてきたが、1972515日午前0時、沖縄の施政権返還と同時に任務を終え嘉手納基地から特別機で米国へ飛び立った。


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☞ 1969年1月28日・ランパート高等弁務官着任挨拶 

・私たちは沖縄の発展や幸福という目標を達成するために屋良主席と緊密な調和と協力体制の下に働くことを期待する。

・私の役割の一つは、琉球住民の福祉安寧の増進のために最善を尽くす。

・私は琉球の日本復帰に対する琉球住民並びに日本国民の要望も心に留めている。私の最も重要な課題の一つは、琉球列島が経済的にも、社会的にも復帰の体制を整えられるように一体化政策を推進することである。


James Benjamin Lampert.JPGランパート高等弁務官







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2012年01月25日

7.高等弁務官の沖縄支配(2)

検証・戦後67年の沖縄


7.高等弁務官の沖縄支配(2)

アメリカ合衆国大統領の承認を得て国防長官が任命した初代高等弁務官は、ジェームス・ムーア陸軍中将195774日〜58430日)だった。


 ムーアは、1902年、マサチュ−セッツ州生まれ。ノルマンディ上陸作戦時の第9軍参謀長、第2軍参謀長、ハワイ南部地区司令官、第10歩兵士団長を歴任し、19553月から琉球列島米国民政府・民政副長官を2年余務めた後、初代高等弁務官に就任。ムーアは民政副長官時代、布令109号改正「土地収用令」を改正し、米軍が必要とする土地の権利取得に乗り出し強制接収をめぐり、住民と対立した。軍事優先を貫き、弁務官就任直後の714日には、辺野古のキャンプシュワーブの軍用地賃借権の取得を通告し基地を拡張し、本土から携兵隊を沖縄に移設する。

19561226日、那覇市長選挙で反米活動家・瀬長亀次郎氏が当選すると翌27日、米国民政府は制裁措置として那覇市の銀行預金凍結、都市計画融資・補助金を中止した。翌年1123日、ムーアは米国に都合の悪い瀬長市長を追放するため「改正市町村議会議員選挙及び市町村選挙法」と「市町村自治法」を改正し、瀬長市長を追放して被選挙権も剥奪した。


 自由と民主主義を建国の精神とする米国は、沖縄では選挙で選ばれた市長であっても権力で追放できる軍事優先支配が行われていたのである。


 
 第二代高等弁務官はドナルド・P・ブース中将
5851日〜61215日。1902年ニューヨーク州生まれ。第2次大戦中はペルシャ湾司令官、ワシントン陸軍長官特別補佐官を勤め、米第9歩兵師団司令官を経てペンタゴン陸軍参謀本部参謀次長から高等弁務官に就任。就任挨拶で「住民の経済、文化の発展、福祉増進に努める」と表明し、民意を尊重する姿勢を示した。前政策から軟化した政策転換を図り、土地四原則のうち、「一括払い反対」及び「適正補償」を琉米土地会議で合意し、「新土地政策」を打ち出した。

 ブース弁務官は着任直後の1958912日、布令第11号「琉球列島における外国人の投資」及び布令12号「琉球列島における外国貿易」を公布。外資導入布令は@輸入へ依存度の減少、A輸出による所得増大、B琉球住民生活水準の向上を目的とした。外国資本の投資を歓迎し、経済資源の開発、琉球列島の生産力の発達に寄与する新規事業の設立など外資申請を奨励するとともに「自由貿易地域」の設置など投資環境改善に経済政策を打ち出した。

 さらに、1958915日、布令第14号「通貨」を発布し、同年920日以降は、米国ドルを琉球列島における法定通貨とし、沖縄はドル経済圏に組み込まれるた。交換比率は120B円対1ドルで換算。資本取引および、貿易の自由化、外国為替の開放化などの自由化体制が採られたが、ドル経済圏は恒久軍事基地建設に必要な物資を大量・安定的に安く輸入する米軍の軍事優先政策でもあった。

195119日、ムーア弁務官時代に凍結していた、那覇市への都市計画補助金の融資を再開した。同年930日には布令25号を公布、「琉球開発金融公社」を設置し、経済発展を促進するため投資を奨励した。


 一方、軍事面では1960118日、アイゼンハワー米大統領が沖縄の無期限保有を声明、翌19日に日米安全保障条約が締結されたが、319日にブース弁務官は沖縄にミサイル・ホーク基地を新たに8ヵ所建設したと発表。614日には米下院は沖縄に対する経済援助を規定した「プライス法」を可決して年間支出限度600万ドルの経済援助が実施された。

第三代高等弁務官のポール・W・キャラウェイ中将61216日〜64731日)は、1905年アンカーソー州生まれ。陸軍省参謀本部、中国戦線の米軍部隊の計画部長などを務めた後、DC陸軍本部計画部長、東京の在日米極東軍総司令部参謀長補佐、米国統合参謀本部陸軍委員から高等弁務官に就任。約3年半沖縄に在任、キャラウェイ旋風と呼ばれるほど強烈な個性で抑圧的な沖縄支配を印象付けた。


 196335日、米国留学生の集まりである「金門クラブ」で演説したキャラウェイは沖縄の「自治神話論」を唱え、沖縄住民を失望させた。

 キャラウェイは自治神話について「州、省または行政上一区分を構成するいかなる地域においても自治はあり得ない」と論じ、沖縄では米施政権者から琉球政府への権限の委譲があるだけで、「現時点においては、自治は神話であり」、かつそれは「琉球住民の自由意思で、再び独立国となる決定を下さない限り、将来においても存在するものではない」と断じた。196336日、琉球新報夕刊は立法院各党の談話として「沖縄が植民地であることを弁務官自身が裏付けた民主主義の否定(社大党)」、「弁務官の独裁支配、植民地支配(社会党)」、「沖縄住民の解放の盛り上がりに弁務官が弾圧(人民党」」と独裁支配の実態を報じた。

キャラウェイはケネディ沖縄新政策(1962319)の日米協調調路線にも反対し離日政策を貫いた。


 ケネディ新沖縄政策で日米協調路線及び日本政府の対沖縄財政援助が発表されたが、キャラウェイは日米協調路線がアメリカの軍事的利益を損なうと強く反発した。日本政府の財政援助を受ければ、日本政府の発言権が徐々に強まり、沖縄返還につながることを恐れ、強硬な対沖縄政策にこだわった。

posted by ゆがふ沖縄 at 00:03| 検証・戦後67年の沖縄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月23日

7.高等弁務官の沖縄支配(1)


シリーズ:検証・戦後67年の沖縄

7.高等弁務官の沖縄支配(1)


 米軍の沖縄統治方式の特質として高等弁務官制度がある。アイゼンハワー米大統領は195765日、「琉球列島の管理に関する大統領行政命令10713号」を公布し、琉球列島米国民政府(USCAR)は極東軍司令官の管轄から国防長官の直轄下に置かれ、沖縄統治の最高責任者は従来の民政長官、副長官とする体制に代わって高等弁務官を長とする統治体制が敷かれた。

 行政命令第4節によれば、「高等弁務官は国防長官が国務長官に諮り、大統領の承認を得て合衆国軍隊の現役軍人の中から選任する」と規定、高等弁務官は「大統領行政命令で与えられる権限を有する」として沖縄統治のすべての権限が一任され、沖縄は絶大な権限を持つ弁務官支配下に置かれる。

大統領行政命令は高等弁務官の権限を次のように記載する。


1 行政命令に基づく使命を達成するため、必要と
   認めるときは、法令を公布することができる。

2 琉球列島の安全、外交および国際機構との関係、
 合衆国の対外関係または合衆国もしくはその国民
 の安全、財産、利害に関して重大な影響があると
 認めるときはっすべての立法案を拒否し、いかな
 る公務員もその職から罷免することができる。


3 刑の執行を猶予し、減刑し、赦免することが
   できる。


4 安全保障のため必要がある時は、琉球列島におけ
   るすべての権限または一部を行うことができる。


5 行政主席の任命権

6 琉球政府の民事裁判権の米国民政府への移送権

  従来、沖縄の占領統治は国防長官の管轄下で、出先の軍部だけに任されていたが、沖縄の占領統治に国務長官と大統領が直接介入できる高等弁務官制度が導入された。

   琉球列島米国民政府発刊の『USCAR収集写真』によれば、「高等弁務官とは、主権国から被保護国、従属国、被占領国に対して派遣せられる常任使節と説明。条約の締結や外交交渉など外交使節の職務を行い、外交使節に準ずる特権を持つほか、駐在国において、内政上の首長たる地位と権限を持つ」と説明している。「沖縄における高等弁務官は、現地軍最高司令官として絶大な権限を持ち、行政、司法、立法といった権限を行使することが可能であり、弁務官は自らの判断で予算案を可決し、裁判権を民から軍へ移すことも出来る権限が与えられる」としている。

  高等弁務官は、19577月から725月の沖縄返還まで6代続き、沖縄統治の最高責任者として君臨した。司法、立法、行政の全権を握り、琉球政府行政主席及び一般職員の罷免権、法令制定・改廃、立法法案の拒否権、裁判権移送などの絶大な権限を持って沖縄を支配した。

◆ ◆ ◆
 大統領行政命令は、米国統治下の沖縄における最高法規。次回から歴代高等弁務官の沖縄統治の実態について検証する。

 



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