2012年05月12日

第3部 櫻井溥「沖縄を語る」(19)

◎沖縄復帰40年特集

第3部 櫻井溥「沖縄を語る」(19)


沖縄の祖国復帰事務C

 仕事のことで山貞にからんで一つだけ記したいことがある。復帰後の沖縄の振興開発のためには、是非とも本土内の各法律とは別の、特別の法律が必要であるというおおよその方向は一致していた。その特別法の中の大きな柱は、沖縄に適用される公共事業の「補助率」のかさ上げ、つまり高率補助を法律に盛ることである。

 この高率補助部分は直接私が担当したので、連日のように大蔵の主計へ参内し、押したり、引いたりするが、ちっとも埒がなく議論が空回りするだけで結論が出ない。元来、「補助率」というものは、受益者負担、公共性のものは厚く、という原則はあるものの、どの事業は8/10とか2/3とか1/2とかにする「理論」は全く無いものである。

 補助率について、一見議論はしているように見えるものの、決まってみると、それはその時の被我の力関係に負うところが多い。こんなわけで私の事務段階では全く進展が見られない。もう一ランク挙げて課長、主計官レベルにしてもどうせ結論が出ないことは目に見えていた。大蔵も同様だった。こうなったら局面打開の方向として「御前会議」しかないだろう、ということになった。

 昭和46年の夏。暑い盛のある土曜の午後のことだった。大臣室には、相沢主計局長(現衆議院議員)、理財局長、両局次長、公共をはじめ2、3の主計官、法規課長それに補佐2名。対するは沖縄・北方対策庁長官、総務部長、振興課長とそれに小生。各々大臣を挟んで対峙する。土台こんな風景は古今東西あり得ない図なのである。

 他省庁の大臣に呼ばれて、主計、理財の局長をはじめ主だった主計官が雁首を揃えるなんてまさに、あり得ないシーンなのである。これも事の重要性と、山貞の力のなさしめるところか。

 大体において主計局長が合いに行くのは官邸の総理大臣のところであって「目下の財政事情は・・・。」とやるものであって、いわんや他省庁へ出向くなんてことは全くと言っていい程あり得ない事件なのである。

 午後の3時をまわった頃だろうか。「いやあ、今日は暑いですね。」と相ちゃん(相沢主計局長)がやや遅れて入ってきた。すかさず、「そうでもないよ。どうして君だけそんなに暑いの。」と大臣がジャブを出す、と、一同どっと笑う。これには訳がある。相ちゃんは当時奥さんに先立たれて独身中だった。そして後任に女優の司葉子を、ということで週末には決まって大阪でデートをしていた。その日もデート帰りで大阪から帰ったばかりだったのである。

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2012年05月11日

第3部 櫻井溥「沖縄を語る」(18)

◎沖縄復帰40年特集

第3部 櫻井溥「沖縄を語る」(18)


沖縄の祖国復帰事務B


 それには訳がある。山貞は中曽根派に属しながら、佐藤栄作大蔵大臣のとき、その下で政務次官をしている。また、政務次官は、普通なら役所の盲腸とか悪口を言われてあまり仕事をしない(させない)のが常なのだが、彼は大蔵政務次官のとき、せっせと税制を勉強したと言われている。

 政治家は大体地元への利益誘導のため、予算には目の色を変えるが、税という一見地味で、しかも専門的知識を求められるこの分野については、あまり興味を示さない。しかし、山貞は違っていた。

 最近になって、やれ消費税がどうのと、議論をする議員も増えたが、いざ選挙になると選挙民の耳ざわりのいい「消費税の導入には、私は反対(反対だった)」などとその場限りの適当なことを言って、国の財政構造全体の在り方についての提言は一切言わない(言い得ない)バッチ族が増えている。

 さて、その山貞が政務次官の折、いろいろと省内に山貞人脈を築いた。その時の人脈が、まさに彼が大臣に就任して生きてきたのである。沖縄復帰事務を取り仕切っていたころの大蔵の主計局長、理財局長、それぞれの次長、それに主計官クラスの大半は、山貞のよく知るところの人達だったのである。


 一般的に相手を知り、そして知られたら仕事は9割方成功したとみていいと言われている。特に日本のように、理より情に厚い組織体である場合には、理はあとでうまくつじつまを合わせてでも、情で合うと事が成る場合が多い。

 特に同郷、同窓となるとこの傾向が強い。しかし、例外はある。例えば、東大同窓というのは、この点まったく機能しない。理由は簡単、東大同窓は圧倒的に数が多く、特定の誼(よし)みを結ぼうにも特定が成り立たないからである。ところが卒業した高校が一緒だとなると、得てして同郷である場合も多く一段と親しみが湧くというものである。

 こんなことで、大蔵の首脳を身近に引き付けていた山貞は、結果的に他省庁にもにらみを利かすことにもなる。ゴマスリではないが、もし、山貞以外の方が大臣だったら、あの大事業はうまくいかなかっただろう、と私は今でも思っている。

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2012年05月10日

第3部 櫻井溥「沖縄を語る」(17)

◎沖縄復帰40年特集

第3部 櫻井溥「沖縄を語る」(17)


沖縄の祖国復帰事務A

 時の総理府の長官は「山中貞則」。鹿児島選出の衆議院議員で長官(国務大臣)就任時は若干48歳の若武者である。河野一郎氏の派閥に属し、のちの中曽根派に身をおくが、派内にあっては親分を「中曽根」と呼び捨てにし、一時は分派活動めいたこともしたことがある猛者である。世間では「党税調の山貞(やまてい)」としてつとに有名(蛮勇)であったが、それは税務を中心として政策に強いということのほかに、政府税調をないがしろにし、毎年の予算編成に絶大な影響力を行使する横紙破りの男としての面を有している。

 のちに、防衛庁長官、通商産業大臣なども歴任した落選知らずの薩摩隼人だったが、前々回の「反消費税選挙」では、「消費税必要論」を正面からぶって僅差で落選、そのあとすぐ復活(当選14回)と、まあとにかく型破りの御仁である。
山中貞則1.jpg

 この山貞大臣の就任の弁がふるっている。講堂に全職員を集め「私は総理府総務長官だが、沖縄の復帰以外の仕事はしない」と言い放って夕方以降の全職員のブーイングを買った。


 また、外部に対しては「沖縄のことについては、私は佐藤総理から全部一任されている」と言ってはばからない。「嘘だと思ったら総理に聞いてみろ」とは言わないだろうが、相手はこの一言で大抵は尻込みしてしまう。一見ハッタリと思われるが、実はそんじょそこらの官僚が束になってかかってもかなわないくらい政策に強く、他省庁の局長連中も「山貞じゃしょうがない」と言わせる実力者である。

 この山貞が大臣だったことが、沖縄復帰事務をいかにスムーズに進めたか、そして彼が大臣であったればこそ、その大事業をよくぞなし得たものと、私は思いを深くしている。これぞ、リーダーシップ、そのものである。時には他省庁にかなり無理難題とも思われることも強引に押し付けることもあった。しかし、彼は問題を決して役人任せにしない。そして、事実佐藤総理とは実に良くウマが合っていた。(ようだった。)

写真:山中貞則総理府総務長官

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