2012年06月02日

ああ! 沖縄総合事務局よ

ああ! 沖縄総合事務局よ

 ─新聞記事提供に「著作権」を持ち出し拒否─

 沖縄国際大学では、沖縄復帰40年を迎え、7月14日にシンポジュムを開催する。経済学部・前泊博盛教授(前・琉球新報論説委員長)が企画したユニークなアイデアだ。


 今回のシンポジュムでは、沖縄返還前後の日本政府の関係者が沖縄問題の真相について証言する。あれから40年・・・関係者が初めて口を開く。

◎出席者(予定)
元沖縄開発庁事務次官・小玉正任氏
*沖縄・北方対策庁総務課長として沖縄の復帰対策を取りまとめた。小玉氏は、山中貞則沖縄開発庁長官の指示で、沖縄総合事務局長時代に沖縄の全ての有人等を回り、離島住民の心を肌で知る官僚。沖縄の有人島を三巡し、島チャビ(離島苦)を体験する。

石敢當の研究で博士号を取得した学究肌の官僚で有名。趣味は第1に「沖縄」、第2に「沖縄」である。沖縄にすべての情熱を傾ける。

  
 沖縄の地名、苗字については地域の人よりも詳しい。沖縄開発庁事務次官を務めたが、庶民的な官僚で現在も沖縄県民から慕われている。


元沖縄開発庁企画課長・桜井溥氏
 *櫻井氏は、米軍統治下時代に総理府及び沖縄北方対策庁で日本政府援助金を担当。返還後の沖縄に高率補助を導入するなど最も沖縄に精通した異色の官僚である。総合事務局初代調査企画課長を務め、その後総務部長として再度沖縄に勤務する。酒が入ると、ウチナーグチが出る愉快な方で、その発音は沖縄の人と良く間違えられる。復帰時に通貨差損補償事務を手掛ける。小禄不発弾爆発事故の補償問題を解決した。沖縄開発庁企画課長時代に3次振興計画を手掛け、行政手腕は高く評価されている。

 沖縄を知り尽くした官僚で沖縄への情熱に燃えている。詳細は本ブログで掲載中の櫻井溥「沖縄を語る」を参照。


元外務省北米局長・吉野文六氏(沖縄返還の日本政府の代表者)にも交渉中とのこと。

その他、数名が参加予定。司会進行は前泊博盛教授。

 ※ ※

シンポジュム開催に当たり、小玉、櫻井両氏から沖縄の最近の情報が欲しいとのことで、櫻井さんから新聞記事の入手を依頼された。

  
 沖縄総合事務局で保管している新聞記事の提供を、調査企画課長・金城雅秋氏へ依頼をしたら拒否された。拒否の理由は「著作権」に触れるとのことだ。


  新聞記事の切り抜きについて「著作権」に触れるとの理由で拒否する姿勢に驚いた。新聞記事のコピーに著作権がある・・・? 新聞は大衆に報道されている。しかも過去の新聞記事だ。

担当課長が拒否したので、次長・竹井嗣人氏へ電話で依頼した。竹井次長いわく、新聞切り抜きは業者と委託契約している。新聞記事の提供は、著作権が発生するので契約内容を見ないと判断できないという。新聞記事の提供に著作権発生? 世の中ずいぶん変わったものだ。


  実態はこうだ。従来、業務の一環として振興開発等関連記事を職員が判断し、記事を内閣府へ発送していた。職員の事務の軽減を図るために新聞記事切り抜きを業者に丸投げし、委託契約しているのだ。業者が切り抜いた記事を巡ってコピーするのに著作権を持ち出したのだ。は〜と驚いた。

 沖縄振興の内容も知らない業者に振興開発記事の重要性が判断できるのだろうか? 新聞記事を切り抜きするのに税金を使って業者に丸投げしている。事業仕訳ものだろう。


◆丸投げした業者名を掲げる。
・平成22年、有限会社・琉球人材派遣センター 契約額177万円
・平成23年、 同上 契約額150万円
・平成24年度 アイデックス株式会社 契約額」160万円
 業者に丸投げした金額は3年間で477万円。

 
 すったもんだの末、元事務次官の小玉さん、櫻井さんがシンポジュム前に沖縄の現状を知る資料としてようやく1部提供してもらい一件落着。

 竹井嗣人次長をはじめ金城雅秋調査企画課長の見当違いもはなはだしい。新聞記事を出し渋ったが沖縄開発庁事務次官経験者に対する失礼極まりないことではないか。小粒の役人のやること、なすことに官僚の杓子定規の体質を知った。振興行政の風化と見るべきだろう。「視力検査」が必要ではないか。


 ワッペン(地位)を輝かした権威主義の事例だろう。摩訶不思議な「沖縄総合事務局」の体質を垣間見た。ああ! 沖縄総合事務局よ。

6月1日夜、元沖縄開発庁事務次官・小玉正任氏に電話したら、今回の沖縄訪問を楽しみにしていた。

 

※本フオーラムは準備の都合で8月4日に延期された。カテゴリ・大学の窓から「沖国大40周年記念キックオフフオーラム」参照。


posted by ゆがふ沖縄 at 00:06| 検証「沖縄総合事務局」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月27日

復帰40年・沖縄総合事務局は機能したか(10)

■復帰40年・沖縄総合事務局は機能したか(10)


(役割終えた沖縄総合事務局)

1972年5月、沖縄復帰時に沖縄総合事務局は@本土の制度の不慣れ(27年間の米軍支配)、A復帰に対する事務の混乱、B沖縄の特殊事情に対する行政事務の期待感であった。このような事務とは、復帰特別措置、通貨切り替え対策、交通方法変更対策、対米請求権関係、対馬丸遭難者特別対策、首里城復元整備などであった。復帰時に想定されていた業務は殆ど完了した。


(沖縄振興の問題点)

復帰後の沖縄振興については、@沖縄振興法、A振興計画、B高率補助、C予算の一括計上─の4点セットで9兆2千億円の振興事業費(9割は公共事業費)が投入された。集中的な財政投資によって社会インフラ、生活インフラが整備され、ほとんど本土並みの水準に達している。しかし、沖縄に投入された振興予算は本土ゼネコン優先発注を貫き、県内で資金循環しない構造的矛盾が吹き出し、経済自立に結び付かなかった。

すでに指摘してきたが、大田県政で政府と対峙していた1998年ごろは振興事業費(9割は公共事業)は4430億円あったが、2011年になると半分以下になった。その結果、公共事業型の沖縄経済で建設業の倒産が相次ぎ、しわ寄せが経済全体に響いている。さらに総合事務局の直轄事業費は03年度から10年度の8年間で約1900億円が本土ゼネコンを中心とした県外業者に還流している。


(財政投資の問題点)

 9兆円を超える財政投資(振興事業経費)は機能したのか? 第1次産業に1兆5千億円を投じたが、農家数などは大幅に減っている。費用対効果の面から、成功したとは言えず、資金循環がなされていない。雇用でも戦略産業として位置付けられている情報通信産業の約4割は非正規雇用で、格差社会が進み、構造的に不安定な状況だ。沖縄振興策の制度設計には不備があり、県民生活密着型ではなかった。


(一括交付金の課題)

 一括交付金(1575億円)のうち、712億円は日本再生重点化枠で予算措置された。重点化枠は戦略的な予算で、フロンティアや新成長戦略、宇宙開発など全国的なものに使われるため、来年度以降担保される保証はない。交付率は概算決定段階で8/10と決定していたが、交付要綱では8/10以内と規定された。通常、補助率や交付率に「以内」という言葉はない。政治がらみで決着した予算のため、普天間問題とリンクさせられる可能性もある。

posted by ゆがふ沖縄 at 00:04| 検証「沖縄総合事務局」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月26日

■復帰40年・沖縄総合事務局は機能したか(9)

■復帰40年・沖縄総合事務局は機能したか(9)

(切り込まれた沖縄振興事業費)

 大田県政が国と対峙していた1998年度の沖縄振興事業費は4430億円(ピーク時)だった。その後、稲嶺県政、仲井真県政が続くと振興事業費は切り込まれ減少傾向で推移し、2011年度は1967億円まで落ち込んだ。2463億円の予算が減ったことになる。


 この影響で沖縄は建設業が598件倒産した。負債総額1260億円。建設業1社当たり2億1千万円の負債を抱え、沖縄経済は不況に見舞われることになる。沖縄予算はもはや聖域ではなくなったのだ。

 建設業で1万人が職を失った。建設業の倒産が沖縄経済に与えた影響を試算してみた。生産誘発で失った額は2331億円。付加価値(人件費、租税公課など)の誘発損失額は1222億円。雇用誘発で失った損失は16400人。沖縄の公共事業は半分以下になった。税収も大幅に減った。復帰時に建設業は沖縄経済の12%を超えていたが今は7%台で低迷している。

  この間、沖縄総合事務局の直轄事業が県外のゼネコンに還流している事実を知って驚いた。私が入手したデーターを開示する。 

(県外に還流する総合事務局直轄事業)

沖縄総合事務局が2003年度から2010年度までに本土ゼネコンに発注した直轄事業(契約額)は1885億8908万円だった。総合事務局の直轄事業費の49%は本土に還流していた事実が判明した。県内で資金循環しない仕組みがつくられていたのだ。


 
 これで沖縄経済が良くなるわけにはいかない。県民は豊かにならない。県民所得は全国一低い。失業率は全国一高い。若者は仕事がない。国直轄事業は本土還流。沖縄振興の構造的矛盾。誰がための振興予算か? 総合事務局の方向指示器はどこを向いているのだろうか。


◆沖縄総合事務局が本土ゼネコンに発注した契約金額を公表する。

2003年度⇒26,825,366千円

2004年度⇒31,283,041千円

2005年度⇒21,583,661千円

2006年度⇒26,822,577千円

2007年度⇒25,186,655千円

2008年度⇒29,098,717千円

2009年度⇒15,645,845千円

2010年度⇒12,143,213千円

   計⇒ 188,589,075千円 


総合事務局の直轄事業は、2008年度までは、本土ゼネコン優先発注を貫いていた。2008年8月、「地方分権改革推進委員会」は「国の出先機関見直しの中間報告」を出す。このような流れの中で総合事務局の直轄公共事業は2009年度からようやく県内業者に配慮するようになった。復帰後、国が実施する公共事業は本土資本に還流していたのである。


 沖縄自立とは何か。総合事務局は機能したか? 復帰40年・・・この現実を考えてみたい。

posted by ゆがふ沖縄 at 00:11| 検証「沖縄総合事務局」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする