2016年11月02日

沖縄返還協定・復帰に伴う諸問題質疑応答要旨(52)

沖縄返還協定・復帰に伴う諸問題質疑応答要旨(52)
1971年10月〜12月:第67国会(臨時会)
●沖縄返還協定特別委員会
●沖縄及び北方問題に関する特別委員会

P3の撤去D
■これは勘ぐれば、アメリカは当初から居座る気持ちがあったのではないか。それでなくても、ベトナム戦争の激化から那覇空港はそのまま使えるようにしらほうがいいという判断から、今になっていろいろ条件をつけてくるような感じがする。

条約及び関連した了解事項等で取り決めているこの那覇空港の問題は、アメリカ側も当然移転を考慮しなければならぬはずである。この点についてはどのような交渉をしたのか。

(外務省吉野アメリカ局長)
那覇空港からP3を撤去する件については、沖縄協定署名の一か月くらい前から米側と精力的に折衝し難航したが、結局P3の移転に伴う必要な諸施設を日本側でつくることを条件に先方はこれに応じたわけである。

その後、そのような諸施設の内容を照会してきたが、昨年の暮れ近くになりようやく米国はわが方に提示し、それに基づき本年度の予算を請求したわけである。

そのうち日時がせまり、わが方は復帰日までに最小限度の工事をするのでP3を撤去してくれ、その他の施設については追って工事を続けるということで交渉したわけである。

そして最終的に普天間のかさ上げ、嘉手納のエプロンその他の修理によりP3及び他の少数の海軍機を那覇から普天間に移すということで合意したわけである。しかし、予算の関係でこれらの工事が遂行できなくなった。そこで先方は現在、延びたついでであるからほかの工事も一緒にやってほしいと主張している。そこで目下先方とこの問題について調整中である。
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2016年11月01日

沖縄返還協定・復帰に伴う諸問題質疑応答要旨(51)

沖縄返還協定・復帰に伴う諸問題質疑応答要旨(51)
1971年10月〜12月:第67国会(臨時会)
●沖縄返還協定特別委員会
●沖縄及び北方問題に関する特別委員会

P3の撤去⓸
■那覇空港のP3の移動については、沖縄復帰と同時に完了すべきものであるが、最近の報道によるといささか疑念が出てきた。この辺の事情はどうなっているか。

(福田外務大臣)
返還時点における那覇空港の完全復帰、つまりP3並びに関連諸施設の撤去については、終始一貫そのように答弁してきたわけである。

ところが、その後事情の変化があった。一つは、国会における予算の審議が遅れて暫定予算が一か月組まなければならぬということになった。当初5月15日の復帰時点においてP3の完全撤去並びに関連諸施設の完全返還を考えていた時点においては、それに代替する施設、つまり飛行場の整備はもとより格納庫の建設等も考えていたのであるが、それはなかなか工事期間がかかる、とても格納庫の建設までをしていたのでは5月15に間に合わぬ、ということになったのである。

急きょ米当局と相談をして、とりあえず那覇空港から移転するP3の受け入れ体制、その最小限のものをしよう、つまり普天間における滑走路のかさ上げをしよう、これなら一か月半かかるからできそうだ、こういうふうなことで予算が3月いっぱいに成立したならば、格納庫も含めた38億円の予算が47年度に計上されておるが、その一部を使って滑走路のかさ上げを早急にやる、そして5月15日の復帰時点においてはとりあえずP3の移転を行う、こういうふうに考えていたところ予算が一か月遅れた、こういうことになって、それも不可能になった次第である。

そこで5月15日私どもの念願していたところは実現できないということになってきた。

ところが、その後また新しい事態が起きているのは、移転先である普天間、それに付随して嘉手納も関連するのだが、主たる移転先である普天間においてP3の移転を歓迎しない、こういう動きが出てきたわけである。そこで屋良主席はじめ県当局はいま大変頭を痛めているのが現況である。

もう予算も成立したのであるから早急に工事着手ということになるべきであるけれども、そういう新たな情勢も加わって、まだ移転計画が実行に移されていない、こういう状態である。

しかし、これは規定の計画であるので、いずれはこれは撤去されなければならぬということになっておるのであるが、その時期をなるべく速やかにしたいというので、地元との調整工作等諸般の問題を協議中であるというのが現況である。

(外務省吉野アメリカ局長)
その後に事情がどういうふうに変わってきたかというと、主たる原因は大臣の答弁のとおり宜野湾市すなわち普天間の飛行場の周辺の住民から一部反対運動があるということが一番大きな問題であるが、このP3を那覇空港から普天間に移すことについては、われわれはこれは目玉商品だからぜひやってほしいということで先方もこれを了承し、結局時間の都合その他で昨年の暮れぐらいからともかく普天間の飛行場のかさ上げだけしてくれれば当面は移る、そしてP3の修理その他に必要な施設については、これは場合によっては例えば普天間に移った後もエンジン等をトラックで那覇空港まで運んでそこで那覇空港の現在ある施設を使って修理してもよろしいというところまで先方の了解を取り付けたわけである。

従って普天間の滑走路が予定通り完成しておれば、P3はその時点において移ったわけである。しかしながらいまや5月15日までに間に合わすという大目的が、予算がうまくつかなかったというようなことから不可能になってきた現状においては、米側もそうならばひとつ修理施設その他も一緒に普天間に移してほしい、そしてそれができるまでは彼らとしてはP3を依然として那覇空港にとどめておきたい、こういうふうに先方は主張している。

これは目下交渉中であるが、それに先立つ普天間自身のかさ上げの工事も思うようにいかないというのが現在の状況である。
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2016年10月31日

沖縄返還協定・復帰に伴う諸問題質疑応答要旨(50)

沖縄返還協定・復帰に伴う諸問題質疑応答要旨(50)
1971年10月〜12月:第67国会(臨時会)
●沖縄返還協定特別委員会
●沖縄及び北方問題に関する特別委員会

P3の撤去B
■那覇空港のP3等の残留について、その期間、残る機数、その任務、目的を明らかにせよ。

(外務省吉野アメリカ局長)
P3は復帰と同時に那覇空港から去ることになっておった。しかしながら必要な施設を嘉手納及び普天間にしなければならぬ、ということであったが、その工事が遅れて結局できなかった。

従って米側としては、いまP3を那覇空港から撤去させるために新たにわれわれと協議をしているわけである。その一つの内容は、普天間の滑走路をはじめP3を受け入れるための施設を整えてほしい。それから嘉手納にトランジットとかその他の三、四十機の小型の飛行機が那覇空港におるが、これを嘉手納に移すために、嘉手納のエプロンその他の工事をしてほしい、これらの工事が整えば、P3及びその他の飛行機も那覇空港から出ていく、こういうことになっておる。

そこで、その工事にどれだけ時間がかかるかは、施設庁もなかなか見通しがつきかねておるわけであるが、実際の工事としてはそんなに長くかかるものではないとわれわれは見ておるわけである。

ただ、普天間の飛行場については、すでに宜野湾市当局からP3の反対の声もあがっており、周辺の人たちの納得も得なければいかぬ、こういうふうな問題があるわけである。

P3以外の飛行機としては、第五艦隊混成スコドロン、すなわちVC5と言っておるが、これはいろいろの小さな飛行機からなっている。およそ三十機ぐらい、いるんじゃないかと見ている。

■那覇空港に関する合同委員会の合意書の内容を明らかにせよ。

(外務省吉野アメリカ局長)
合同委員会の文書そのものは発表できないことになっておるが、政府の発表した要約を申すと、第一に今度のP3が暫定的に那覇空港に残るために、那覇海軍航空施設という、特別なこれをカバーするための基地をつくり、ここにP3を納める、そういうことになっておる。

この中には、建物は大体2万2千平方メートル、それから土地が82万平方メートル、そのほかに滑走路と誘導路の部分について一時使用を許す。那覇海軍航空施設については、これはP3が移転するまでということで、いわゆる二4(a)で先方に管理を委ねて提供する。それから滑走路及び誘導路は、これは二4(b)で一時使用を許可する、そういうことになっておる。
posted by ゆがふ沖縄 at 00:35| 大学の窓から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする