2012年09月02日

琉球政府の復帰施策(21)

琉球政府の復帰施策(21)

■幻の「屋良建議書」(14)

〜沖縄復帰の建議書〜

1971年11月18日


 しかしながら、刑事裁判については、そのような形で簡単に処理するわけにはまいりません。刑事裁判の場合は、裁判権が国家刑罰権の発動機能として設定され、しかもそれはもっぱら国の法秩序を維持する目的で発動されるのであるから、訴訟の全体を当事者の弁論だけに委ねることはできず、裁判の結果についても民事裁判のように法的安定性の法理をもってこれを論ずることはできないのであります。
琉球政府行政主席・屋良朝苗氏.jpg

 このように、刑事裁判は国家主権の直接の発動であるから、外国の裁判の効力をそのまま承継するとか、あるいは自国の裁判の効力の承継を他国へ強制することは、事柄の性質上できるものではありません。

 したがって、米国の施政権下において行われた刑事裁判の効力を復帰後もそのまま維持し、あるいは日本政府がこれを引き継いで執行することは、理論的に全く筋のとおらないことであります。

 返還協定第5条1項及び2項が民事裁判については、復帰後も「その効力を認め日本政府が引き続きこれを執行する」旨規定しているのに対して、刑事裁判については、日本政府において「その効力を認めることができ、また引き続き執行することができる」というふうに規定(同条第3項)し、日本政府においてその効力を認めか否か、また引き続き執行するか否かを自由に選択できるようにしているのも、正にそのような見地からでありましょう。

 一方、米国の施政権の下で設置された裁判所は、いずれも米国の大統領行政命令及び布告、布令をもって設立されたものであり、また統治機構的にも米国の施政権の行使を分担し、またはこれを奉仕するものとしてその統治機構の中に組み入れられ、裁判権を行使するに当たっても、法制度的には米国民政府の発する布告、布令に従い、かつこれによって付与された権限の範囲内においてのみこれを行い、裁判の独立性も十分に保障されていなかったのであるから、これらの裁判所が米国の施政権下で行った刑事裁判の効力を復帰後もそのまま承認することは、到底できるものではありません。

 終戦以来、米国の施政権行使に反対し、本土への復帰を要求し続けてきた県民の心情としても、これを承認することはできないのであります。

 したがって、終戦以来米国の施政権下において行われてきた刑事裁判の効力については、奄美大島が復帰したときの奄美方式を先例として踏襲すべきであります。そうでなければ復帰後沖縄については、刑事総則の例外を認めることになり、しかもそれは県民を不利益に差別するものであるから、憲法第14条に違反し、また憲法第95条の規定に基づいて、県民の過半数の支持が得られない限り国としてもそのような措置はできないはずであります。



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2012年09月01日

琉球政府の沖縄施策(20)

琉球政府の復帰施策(20)

■幻の「屋良建議書」(13)

〜沖縄復帰の建議書〜

1971年11月18日


 次に沖縄開発庁設置法案によれば、国の行政組織の上で類例のない総合事務局が沖縄に設置されることになりますが、沖縄の総合事務局の所掌事務は総務部門、開発工事を実施する部門、許認可行政部門及び本来ならば第三者機関として設置されるべき公取委事務所など開発庁の権限以外の各省庁の業務も含まれることになっております。
復帰時の総合事務局.jpg

 沖縄のような小さな地域に膨大な国の機関が設置されると沖縄の地方自治団体の自治、特に沖縄県の自治に重大な影響を与えるように思われます。したがってこのような事務局を設置する場合には、沖縄県側の自治を最大限に尊重することを当然前提にしなければならないのであります。

 地方自治の侵害は、戦前戦後を通じて、自治権拡大を最重要課題として要求してきた沖縄県民の最も忌避するところであります。


 私たちは、これまで繰り返し強調してきたように地域開発はあくまでも地方自治の本旨に則って、地域住民の経済的水準並びに福祉の向上を目的とした地域住民本位の開発でなければならないと考え、これに対する国の配慮を強く要請するものであります。


(四)裁判の効力について


 米国の施政権下において行われた裁判の効力を復帰後どのように取扱い、国内法上これをどのように処理するかは、それが国家権力の本質と県民の人権に重大な関係を持つものであるだけに極めて重要な問題であります。そして、これは本来、国の司法権に関する問題であり、復帰後の国内措置としてこれをどのように処理するかという問題であるから、その処理の仕方については、当然日本国憲法およびその下における全国法秩序と適合するものでなければなりません。

 そうでなくても、もしそれが施政権者に対する配慮や国の外交政策上の都合によっていささかたりとも歪められるようなことがあるとすれば、国の司法権の基本理念は崩壊し、これに対する国民の信頼を維持することも困難となりましょう。

 このような観点からこの問題を考察するとき、米国の施政権下においてその発動として設置された米国民政府裁判所及び琉球政府裁判所は、如何なる意味においてもこれを日本国憲法上の裁判所と同列に置くことはできないのであります。

 これについては、何人も異論のないところであり、米国の施政権下において行われた裁判の効力を判断するに当たっては、まずこの点に留意しておく必要があります。これについては何人も異論のないところであり、、米国の施政権下において行われた裁判の効力を判断するに当たっては、まずこのことに留意しておく必要があります。


 民事裁判は、もともと裁判権そのものも私人間の紛争を処理するためのものとして設定され、裁判手続き全体が弁護主義によって支配され、裁判の結果についても法的安定性が最大限に尊重されなければならないのであるから、米国の施政権下において行われるものであっても、それは内容的に日本国憲法およびこれを頂点とする全国法体系の上で公序良俗に反するものでない限り、その効力を承認して差し支えないものであります。

 したがって、これについては、特に問題にすることなく、ただそれが適切な経過措置によって復帰後国内法体系の中に組み込まれればそれで足りるわけであります。


写真

復帰時に設立された沖縄総合事務局。
6階建てを9階建に設計変更させて国が借り上げた。
復帰の混乱期で「手書きの辞令交付」が行われた。
第二の米国民政府への懸念があった。
(瀬長浩『世代わりの記録』)
*瀬長氏は復帰対策の琉球政府代表




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2012年08月31日

琉球政府の復帰施策(19)

琉球政府の復帰施策(19)

■幻の「屋良建議書」(12)

〜沖縄復帰の建議書〜

1971年11月18日


3 開発三法案の問題について

 地域開発の目的は、その地域社会の開発を進めることによって、地域住民の生活水準と福祉の向上を図ることであります。したがって、具体的な計画の策定に当たっては、まず地域住民の要望が率直に反映され、計画実施に際しては、地域住民が主体的に参加できるようにしなければなりません。地域住民との密接な連携がなければ地域開発本来の目的は実現できないからであります。
琉球政府行政主席・屋良朝苗氏.jpg

 しかるに、「沖縄開発三法案」の内容を検討してみると、地域開発の原則、すなわち開発計画に中に地域住民の創意を盛り込み、その計画実施に当たっては、地方公共団体が主体的にこれに当たり、国は地方自治体の計画策定並びに実施を財政的に裏付けるための責務を負うとの原則が十分に取り入れられていないように思われます。

 「沖縄振興開発特別措置法」の第4条で開発計画原案の作成については、県知事の権限とされているが、計画の決定は「沖縄振興開発審議会」の議を経て、関係行政機関の長と協議の上、内閣総理大臣が行うことになっております。

 このように、計画の最終決定権は総理大臣に委ねられております。しかも計画決定に重大な影響を与えるとみられる審議会の構成は、その過半数が「関係行政機関の職員」よりなっているのであるから、これでは知事を通じて表明された県民の意見よりも中央の意向によって、すべてが決定されることになりかねません。したがって、この審議会の委員構成は、県民の意向が十分反映させられるよう再考すべきであります。


沖縄振興開発金融公庫.JPG

 さらに、この開発計画を推進するための国の財政負担について、同法案は個別事業ごとに補助率を定めるような仕組みとなっており、しかも、その実質的な決定が政令に委ねるようになっているが、沖縄が終戦以来、国政のらち外に置かれ、異民族支配のもとに放置されてきた結果、各面に幾多の格差を生じていることにかんがみ、この開発計画全体について、国の特段の助成措置が必要であります。


 次に「経済の振興及び社会の開発に資することを目的」に「沖縄開発金融公庫法」が制定されることになっているが、その第4条によれば、資本金については現に沖縄に存する琉球開発金融公社、大衆金融公庫、それに琉球政府特別会計を加えた正味資産を充てるとされています。これらの資産は本来沖縄県民に属するものであるから、国は新たな出資をおこない積極的規定を設け公庫を充実強化し県民の期待に応える必要があります。


 一方、公庫法第3条は「主たる事務所」を那覇市に置き「従たる事務所」を東京に置くとしています。そこで、この「従たる事務所」を通じて貸付業務を行うものができるものとすれば、形式はともかく、運用いかんによっては、東京の事務所が「主」となり那覇の事務所が実質的にこれに従属されることにもなりかねません。このような弊害をなくするためには、東京事務所の任務は、主として関係行政機関との連絡調整に重点を置き、実際の貸し付けは、那覇事務所の窓口を中心にして行うようにすべきであります。

写真
19725月、沖縄復帰時に設立された
沖縄振興開発金融公庫(政策金融機関)

posted by ゆがふ沖縄 at 00:06| 琉球政府の復帰施策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする