2017年04月26日

検証・沖縄大使(3)

検証・沖縄大使(3)

1968年12月12日、「沖縄及び北方問題に関する特別委員会」の資料が私の手元にある。1970年5月、沖縄北方対策庁沖縄事務局が発足し、当時の幹部が保管していた資料のコピーである。

総理府総務長官・床次徳二の発言も綴られている。沖縄の祖国復帰作用が本格化する、
「近い将来返還の時期についてめどをつけるため、日米間の外交折衝が進められ、まず復帰の時期について明確な合意に達することこそが全国民の総意に沿い得る道であると確信する」・・・沖縄へ向き合う床次の言葉だ。

沖縄の耐える歴史への配慮を滲ませた言葉もあった。
「復帰の時期を迎えるまでの間、復帰の際の摩擦を最小限にするため、引き続き、沖縄の住民とその制度の本土との一体化を進め、沖縄住民の経済的、社会的福祉を増進するための措置を強く推進していく」。

本土と沖縄の一体化をはかるための措置として、沖縄援助費を逐年増大していく。1968年度において153億円余と、前年度の103億円余に比べて、大幅に増額された。

このほか、沖縄籍船舶の日の丸相当旗の併揚、沖縄住民の本土及び海外渡航の際の渡航文書を日本政府が発給、海外における沖縄住民の保護及び海外移住の事務の責任を日本政府が第一義的に行なうこととされた。

沖縄及び本土間の渡航手続の簡素化、輸出入手続の改善、失業保険金の相互給付等々の施策も掲げた。

1967年11月の第二回佐藤・ジョンソン会談を契機として、沖縄と本土との一体化は、日米間の合意として沖縄の本土復帰に備え強力に推進された。

1968年3月1日、那覇において日米琉三政府の代表によって構成される高等弁務官に対する諮問委員会が発足した。すでに述べたが、同委員会は、発足以来、一体化のための必要な措置について47項目の勧告を行なっている。

日米琉諮問委員会の勧告及び日本政府一体化調査団の調査結果等を踏まえ、1968年11月5日、「日本本土と沖縄との一体化に関する基本方針」が閣議決定された。
posted by ゆがふ沖縄 at 00:44| ◆「時の動き」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月25日

検証・沖縄大使(2)

検証・沖縄大使(2)

1967年11月、第二回佐藤・ジョンソン会談の合意により1968年3月、本土と沖縄の一体化推進を目的に琉球列島高等弁務官の諮問機関として、「日米琉諮問委員会」が那覇市に設置された。

1968年5月、日本政府は「沖縄島那覇に駐在する諮問委員会の委員となる日本国政府代表の設置に関する暫定措置法」を制定する。

米軍政下の沖縄に「日本国大使」を置く法的根拠だ。この法律は、日本国政府、アメリカ合衆国政府及び琉球政府をそれぞれ代表する者をもつて構成され、沖縄の復帰に備え、本土との一体化を進めるとともに、沖縄の住民の福祉等を増進するため、沖縄の社会的経済的諸問題及びこれに関連する事項に関し、琉球諸島高等弁務官に対して、助言し、及び勧告することを目的とした。

諮問委員会の委員は日米琉3政府代表(高瀬侍郎沖縄大使、ローレンス・C・バース米国駐日大使館公使、瀬長浩琉球政府副主席)で構成。範囲は経済開発、教育、保健・福祉の3分野に限定され資格免許の一体化、国と県事務の分離など47項目の勧告が行われた。基地被害や人権侵害など県民は訴えたが政治問題は除外された。沖縄大使が置かれたが壁は厚かった。

日米琉諮問委員会設置を受け、1968年12月12日、沖縄及び北方問題に関する特別委員会が開催された。

総理府総務長官・床次徳二は沖縄の施政権返還問題は、わが国が当面する日米外交上の最大の課題であると所信を述べた。沖縄の祖国復帰は、百万沖縄住民はもとより、一億日本国民の強い念願と語った。佐藤総理が所信表明演説において、沖縄の早期返還を実現するとの決意についても強調した。

委員外の出席者として、総理府特別地域連絡局参事官・加藤泰守が国会に呼ばれた。加藤はその後、沖縄北方対策庁沖縄事務局長になり、沖縄開発庁事務次官を務める。

沖縄勤務中の加藤は現地職員と開襟を開いて懇談していた。沖縄をフォローする態勢で本土・沖縄一体化を試みていた。沖縄を重視したのも加藤だった。職員はうなずいて聞いていた。

posted by ゆがふ沖縄 at 00:32| ◆「時の動き」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月24日

検証・沖縄大使(1)

検証・沖縄大使(1)

摩訶不思議な沖縄大使がいるものだ。川田司外務省沖縄担当大使のことだ。この人の感覚は見当違いも甚だしい。

川田司外務省沖縄担当大使は3月30日、米軍普天間飛行場の5年内運用停止を要請するため訪れた県議団に対し、政府が対米交渉をしたかは「私も知らない」とし、「(辺野古移設が)県民のためになると思っている」と述べた。(3月31日付琉球新報)。

沖縄の基地負担については「沖縄経済の4兆円の所得のうち2兆円は本土からの移転経費だ」と答えている。トンデモナイ,浅薄(せんぱく)な沖縄理解だ。

1995年の米兵による少女乱暴事件を受け、基地問題で「地元の意見を聞く」ために設置された沖縄担当大使の対応に、県議会の仲宗根悟米軍基地関係特別委員長は要請後、「歴代大使の中でも最も無責任な発言ではないか。自らの役割を認識してほしい」と述べた。

米軍普天間飛行場の5年以内運用停止について川田大使は見解を問われ、「これは私の役目ではない。私の役目は皆さんの要望を外務大臣に伝えることだ」と応じたという。政府は5年以内の運用停止で米国と交渉したのか問われ、「私も知らない」と述べた。

報道を見て驚いた。沖縄大使の資質をさらけ出した発言・・・この感覚のなさは何だろう。

批判は免れない。見るに堪えない。低レベル過ぎるからだ。川田発言について、琉球新報からコメントを求められた。

3月31日付・琉球新報紙面に掲載されたのでブログで紹介する。

* * *
識者談話(2017年3月31日付・琉球新報)
   宮田裕(沖大・沖国大特別研究員)

■根源的理解欠く発言
米軍普天間飛行場5年以内の運用停止を求める県議会の要請に対し、川田司沖縄担当大使は国からの財政移転を持ち出して県民への配慮をアピールし、普天間飛行場の辺野古移設を正当化するような発言をした。

しかし、川田大使が言う「財政移転2兆円」の認識は、その前提となる数字が間違っている。沖縄の県民総所得は4兆1211億円だ。政府の沖縄への最終消費支出は1兆1915億円で、その内訳は国出先機関と県、市町村、社会保障基金への支出だ。そのほか公共事業の公的支出は3393億円で、国からの財政移転の総額は1兆5308億円、財政依存度は37・1%だ。「沖縄は国から2兆円の金をもらっている」と言うのは実際の数字を超えた恩着せがましい発言だ。

さらに、基地問題の議論時に「財政移転しているから、沖縄を見殺しにしていない」と述べる発想は沖縄に対する根源的な理解を欠いている。発言自体が本土と県民との心の距離を作り出しており、川田大使が沖縄に真摯に向き合っているか疑わしいと言える。
* * *
1968年、日米琉諮問委員会が設置され、沖縄大使が置かれたのが日本国の沖縄大使派遣の起点だ。復帰とともに消滅したが、基地問題が浮上し再度、沖縄大使が置かれている。次回から米軍政下の沖縄になぜ沖縄大使が置かれたの? 復帰後の沖縄大使の系譜について述べる。
posted by ゆがふ沖縄 at 00:07| ◆「時の動き」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする