2017年07月27日

半世紀後の沖縄振興計画はあり得るのか(42)

半世紀後の沖縄振興計画はあり得るのか(42)

■沖縄振興に10兆9,403億円

検証・沖縄振興事業費と国税納付額(3)

1985年夏だった。2次振興計画が終了した後の3次振興計画はあり得るのか、早急に検討する必要があった。なぜか?

1次振興計画を策定するにあたり、初代沖縄開発庁長官・山中貞則は、米軍支配下27年の償いは、最低30年は必要だと述べていた。当時のメモが私の手元にある。沖縄開発庁は、座標軸をもってすべての会議の記録を残している。

加計学園問題を巡って、今の内閣府は国政の重要問題で記録がない、記憶がないと報道されているが、最高の頭脳集団・官僚として考えられないことである。危うい憂国の技巧だろうか? 

沖縄行政は沖縄開発庁が消滅し、軸足を内閣府に移してから時代への適応力が失いかけていると思われる。

3次振興計画の準備は早い機会から進められていた。沖縄のためならすべてやる。沖縄開発庁の戦略シナリオだった。情熱があった。縦横無尽に動いていた。

国の沖縄振興開発審議会総合部会が開催され、同部会に専門委員会を設置し、「第2次沖縄振興開発計画の展望と戦略について」調査・審議が行われた。

二年の歳月をかけて@沖縄振興の現状と問題点、A人口及び経済フレームの見通し、B2次振興計画の課題と方策が調査・審議された。1987年に行われる海邦国体以後の2次振計後期(1987年度〜1991年度)において政府の財政事情等から考えても、財政支出の落ち込みが予想され、沖縄経済への影響が懸念されていたからだ。

当時、私は沖縄総合事務局で企画部門を担当していた。沖縄経済を特徴づけているのは、基地依存型・公共投資依存型経済であり、このような状況から沖縄経済の自立化を図るための産業の振興が緊急の課題だった。

2次振計後期においては、主要プロジェクトを発掘し、財政の落ち込みを食い止めていくことが重要な課題だった。そのために自立的発展を支える産業基盤整備へ全力投球していく必要性が指摘された。同じく沖縄の地域特性を活かした産業振興の方向づけについても模索した。

議論の主軸は、1次、2次振計における沖縄振興開発の現状と課題の総括と、併せて2次振計終了後の沖縄の経済社会を展望した沖縄振興開発の進め方に置かれた。

わが国全体の中で沖縄の有する特別な位置づけに思いを致すとき、ボーダレス化の進展とともに沖縄の地理的有利性が増してきており、沖縄の自立的発展は単に一地域としての発展にとどまらず、広くわが国全体の発展に積極的に寄与していくことができる可能性を有しているということであった。
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2017年07月26日

半世紀後の沖縄振興計画はあり得るのか(41)

半世紀後の沖縄振興計画はあり得るのか(41)

■沖縄振興に10兆9,403億円

検証・沖縄振興事業費と国税納付額(2)

第2次振興開発計画の経済フレームを議論していたころの記録、記憶を呼び戻しながら、ブログを書いている。2階の窓から南風原方面の夜景を見ながら赤ワインを飲むと、心地よく体に吸収していく。振興計画に携わっていたころの「想い出」が吹いてくる。現役を離れて長いが、ひとつの新しい息吹がある。

2次振計期間中に国が投じた振興予算は2兆149億円。2兆円の財政投資で社会資本は整備されつつある。この期間の経済成長率は1985年度6.0%(全国は6.3%)、1989年度6.1%(全国4.6%)の伸びを示していた。1990年度は1.2%(全国6,2%)に落ち込んだ。その他の年度は2〜4%台の経済成長を遂げた。

国の沖縄振興開発審議会専門委員会の事務を担当していた。2次振興計画の経済フレームの議論は、人口を120万人設定したが、実績は122万2千人だった。復帰後の人口増加は想定外に伸びつつある。

県内総生産に占める1次産業の構成比は6%設定したが、実績は2.6%だった。2次産業は24%を想定したが、実績は19.1%、3次産業は73%を想定したが81.2%に肥大化した。

この間、国は沖縄から1兆8,754億円の国税を徴収した。振興予算2兆149億円の財政投資の関連で見ると、復帰プログラムをどう解釈すべきか? 戦後四半世紀を超える長い間、本土から分断された沖縄に対する「振興予算」をどう読み解くのか。沖縄の苦難な歴史に対して、沖縄振興に国は全責任を持つとはどういうことか。戦後17年間、日本の財政から見捨てられた唯一の県であることを直視しなければならない。

2兆円の財政投資で道路、港湾、空港、学校教育施設を中心とした本土との格差は解消されつつあるが、水資源の開発、生活基盤施設(病院、公園、下水道、公営住宅等)、産業基盤施設は立ち遅れている。

情報分野、教育問題、企業の誘致、県民所得格差の分野では、積極的な施策展開が期待されたが、取り組みは弱かった。

経済構造では生産部門が弱く、移輸入依存度が高いため大幅な貿易赤字が続き、財政移転でカバーする財政依存体質は改善されていない。2次振計終了時の1991年度の財政依存度は35.7%だ。県民1人当たりの全国との所得格差は65.7%。沖縄経済に占める製造業の割合は5.9%。

自立的発展の課題は残されたまま、産業振興、雇用・失業問題は深刻でほとんど解消されていない。経済指標が空しく響く。

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2017年07月25日

半世紀後の沖縄振興計画はあり得るのか(40)

半世紀後の沖縄振興計画はあり得るのか(40)

■沖縄振興に10兆9,403億円

検証・沖縄振興事業費と国税納付額(1)

沖縄は国からの財政支出で優遇されているという「誤解」がある。誤った認識は正さなければならない。復帰後の振興予算と国税納付額について検証する。

第1次振興計画期間中の沖縄振興事業費は1兆2,483億円だ。この間、国は沖縄から6,854億円の国税を徴収した。復帰記念事業として沖縄国際博覧会が行われ、海洋博関連公共事業を始め民間関連事業として2,800億円が投入されたが7割は本土資本に還流した。

国直轄事業のダム開発、国道拡幅・整備、空港、港湾、漁港、農業基盤整備等の公共事業の6割強は本土業者が受注し、県内資本循環が乏しい経済構造が造られた。なぜか? 資本力、技術力等から本土ゼネコンが優先されたからだ。

振興予算は県内の資金循環効果が乏しく、「ODA沖縄版」と揶揄された。本土との格差是正を目標に集中的に財政が投入されたが、財政依存度は復帰時の23.5から1次振計最終年度の1981年度は37.2%まで拡大していく。

この間の完全失業率は3.7%から5.4%に拡大し、雇用失業問題が社会問題化した。財政依存度の弛緩を招いた経済構造が組み立てられたのだ。

この間の経済指標を丹念に追えば、1次産業の割合は、7.3%から5.3%に、2次産業は27.9%から21.3%へ、自立の指標となる製造業は10.9%から6.8%にそれぞれ低下したのである。

1次振計期間中に1兆2,483億円の振興事業費が投入されたが、この間、国は沖縄から6,854億円の国税を徴収した。沖縄予算の30%相当分は、高率補助であり、戦後27年間の分断による「償い論」を根拠にする。

沖縄予算の経緯はこうだ。日本政府が琉球政府(市町村を含む)に財政援助を開始したのは1963年度予算からだ。この間、沖縄は国の財政援助から見捨てられていた。米軍政下の沖縄予算は「沖縄復帰対策費」として計上、日米琉の合意によって執行されていた。1947〜59年度までに米国は、当時の金で600億円を超えるガリオア資金(戦災地復興資金)を投入し、沖縄の戦後復興がスタートする。

復帰後は全国並みに予算計上されているが、振興予算の枠組みは@沖縄振興法、A沖縄振興計画、B高率補助、C一括計上の四点セットからなる。その理由は、苛烈な戦火を被ったことや27年間の米軍政下にあった歴史的事情があるからだ。
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