2017年05月24日

検証・沖縄大使(21)

検証・沖縄大使(21)

(歴代の沖縄大使と沖縄の動向)
■12代大使・川田司[2]任命2016年6月3日

川田大使着任後の沖縄は、すでに述べたが米軍族による強姦致死・殺人及び死体遺棄事件があった。在日米軍のMV-22オスプレイが墜落した。

川田大使は、沖縄にどのように向き合ってきたのか。沖縄担当大使は、沖縄県からの要望等を踏まえ、1997年2月から任命されている。

沖縄に駐留するアメリカ合衆国軍隊に関わる事項等についての沖縄県民の意見及び要望を聴取し、これを外務省本省に伝えるとともに、必要に応じ、米軍等との連絡・調整を行う等の業務に従事していることが仕事である。(2015年九9月25日・鈴木貴子衆議院議員に対する政府答弁書)。

川田大使の言動を見ると、存在意義はない。3月30日、普天間飛行場の5年以内運用停止を要請するために訪れた沖縄県議会議員団に対し、政府が対米交渉をしたかは「私も知らない」とし、「辺野古移設が県民のためになる」と述べた(3月31日付・琉球新報)

運用停止に向けた外務省の取り組みについて、「知らない」と川田大使が発言したことに、「翁長知事が統治者能力がない」と指摘しているが、川田大使は「自ら証明する発言だ」と皮肉った報道もなされた。

川田大使は主張の説得力を完全に失ってしまっている。外交官として信ぴょう性を揺るがす発言と言わざるを得ない。

沖縄は基地で食っているとの認識も示したが、認識不足も甚だしい。沖縄の基地負担については、「沖縄経済の4兆円の所得のうち、2兆円は本土からの移転経費だ」と基地負担の見返りに経費が入っているかのように反論した。琉球新報報道に接し、驚愕した。

煌びやかな肩書を持つ沖縄大使。間違った沖縄認識で色をなして県議会代表団に反論する一幕。県議会代表に対する対応は、失礼じゃないか。

沖縄から見た視点がまったくない。このバランス感覚のなさは何だろう。


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2017年05月23日

検証・沖縄大使(20)

検証・沖縄大使(20)

(歴代の沖縄大使と沖縄の動向)
■12代大使・川田司[1]任命2016年6月3日

今回は第12代沖縄大使・川田司氏について取り上げたい。
復帰後、沖縄大使が設置されたのは1997年2月17日である。現在の沖縄大使・川田司氏は12代目である。国際テロ対策・組織犯罪対策協力担当大使から沖縄大使に赴任。

川田大使着任後の沖縄の政治情勢を見てみよう。

川田大使着任直前の2016年4月28日、沖縄県うるま市において、米軍族による強姦致死・殺人及び死体遺棄事件が発生。同年5月、死体遺棄の容疑で元軍属が逮捕された。6月9日、強盗致死の容疑で再逮捕。

6月17日、辺野古移設を巡り国地方係争処理委員会が是正指示の違法性について判断しない旨決定。

7月5日、軍属を含む日米地位協定上の地位を有する米国の人員に係る日米地位協定上の扱いの見直しについて日米共同発表。

7月22日、国土交通大臣が沖縄県知事が是正勧告に従わないことの違法性を確認するため、不作為の違法確認訴訟を福岡高等裁判所那覇支部に提起。

9月10日、普天間飛行場に所在する回転翼機及びテイルト・ローター機等の沖縄県外への訓練移転について日米合同委員会において合意。

9月16日、不作為の違法確認訴訟で福岡高等裁判所那覇支部は国土交通大臣の主張を認める判決。

9月23日、沖縄県知事が福岡高等裁判所那覇支部の判決を不服として、最高裁判所に上告。

12月13日、名護市東海岸の沖合で在日米軍のMV-22オスプレイが墜落。
12月20日、不作為の違法確認訴訟で最高裁判所は沖縄県知事の上告を棄却。

12月21日、北部訓練場の過半の返還について日米共同発表。22日、北部訓練場の約4010ヘクタールが返還。

12月27日、普天間飛行場代替施設建設事業を再開。


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2017年05月19日

検証・沖縄大使(19)

検証・沖縄大使(19)

(歴代の沖縄大使と沖縄の動向)
■5代大使・宮本雄二[2]任命2004年12月7日
在任期間2004年12月7日〜2006年3月3日

宮本大使着任後の沖縄を巡る政治情勢を掲げる。

2005年2月19日、日米安全保障協議」委員会(2プラス2)がワシントンであった。在日米軍の兵力構成見直しに関する協議の強化を決定。

7月19日、金武町においてキャンプ・ハンセンのレンジ4陸軍複合射撃訓練場における実弾射撃訓練に抗議し、即時中止を求める県民集会が開催。

8月9日、牧港補給地区の国道58号線に隣接する土地(約3ヘクタールの返還に浦添市長が合意。

9月15日、日米合同委員会において、日本政府がレンジ4の米陸軍複合射撃訓練場の代替施設をレンジ16に近接する場所に建設し、予定されていた訓練を移転させることが合意された。

10月29日、日米安全保障協議」委員会(2プラス2)をワシントンで開催。共同文書「日米同盟:未来のための変革と再編」が発表された。

沖縄の政治情勢に沖縄大使が直接かかわることはないが、沖縄の実情を直接、外務省に伝達するのが沖縄大使の役割である。宮本大使は快く沖縄に向き合ったと思われる。沖縄を離任後中国大使に転出した。

宮本大使が沖縄を離れて10年近く経過してもマスコミは高く評価している。2015年8月25日付の日本経済新聞夕刊紙面で宮本大使の人となりを報道している。引用して掲載する。

●沖縄の心 元駐中国大使 宮本雄二
2015年8月25日付・日本経済新聞 夕刊

那覇市に外務省沖縄事務所がある。1995年の沖縄米兵少女暴行事件を契機として、基地問題に対する日本政府の対応策の一つとして設置された。私は、沖縄担当大使として2004年から2年足らず那覇に住み、所長を務めた。新しい任地に赴くといつも歴史から入る。早速沖縄の歴史を紐解(ひもと)いた。さまざまな歴史書を読み進めると、「沖縄の心」の深いヒダが見えてきた。

1609年の薩摩藩の琉球侵攻。1872年からの、明治新政府による琉球処分。1945年の沖縄戦。そして72年の沖縄の本土復帰。これらはすべて、そこに住む人たちが運命に翻弄され、大きな犠牲を払い続けてきたことを示す。琉球人だったのに日本人にされ、その日本を守るために地上戦を戦ったのに結局本土は降参し、51年、本土は独立を回復したのに、沖縄は20年後の72年に、ようやく米軍の直接統治から解放された。そして今度は、日本全体の安全を守るために日米安保が必要だというので、米軍基地の7割が沖縄に集中しているという現実。それから生じる日々の基地問題…。

沖縄のある方が、「2000年の沖縄サミットの開催で、ようやく自分が日本人だという確信を持てました」と語った。それまでは確信が持てなかったのだ。東京以外の初のサミット開催地に沖縄が選ばれたことが、いかに大きな意味を持っていたかが分かる。「沖縄の心」を理解していた小渕恵三総理の英断であった。沖縄の人たちは、感謝の気持ちを込めて、サミットが開かれた名護の地に、小渕総理の銅像を建立した。

沖縄とのお付き合いは、彼らの「心」を理解するところから始まる。そこを希薄化させてはならない

* * *
宮本雄二大使の沖縄への思いがひしひしと伝わってくる。その心情は米軍政下の日本政府沖縄事務所長・岸昌さんの心情に通底する。

岸さんは、沖縄の土を踏んだ感想を次の言葉で表現した。
「ここは日本か、違う米国の植民地だ」

復帰対策を検討していたころの話。岸さんは日本官僚が「沖縄を甘やかすな」と発言したことに喝破し、「沖縄の心」を説き、沖縄復帰関連法案の立案を進言。官僚の「沖縄認識のゆがみ」を映し出し、沖縄振興について「国の責任論」を山中貞則総理府総務長官に訴えた経緯がある。沖縄で自治の原点を学んだと語り、沖縄離任後、自治省官房長、大阪府知事に就く。大阪沖縄県人会に顔を出し、激励していたという。

「沖縄の心」を理解するのは、政治であり、行政である。歴史は後世に伝わっていく。

posted by ゆがふ沖縄 at 00:02| ◆「時の動き」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする