2017年07月25日

半世紀後の沖縄振興計画はあり得るのか(40)

半世紀後の沖縄振興計画はあり得るのか(40)

■沖縄振興に10兆9,403億円

検証・沖縄振興事業費と国税納付額(1)

沖縄は国からの財政支出で優遇されているという「誤解」がある。誤った認識は正さなければならない。復帰後の振興予算と国税納付額について検証する。

第1次振興計画期間中の沖縄振興事業費は1兆2,483億円だ。この間、国は沖縄から6,854億円の国税を徴収した。復帰記念事業として沖縄国際博覧会が行われ、海洋博関連公共事業を始め民間関連事業として2,800億円が投入されたが7割は本土資本に還流した。

国直轄事業のダム開発、国道拡幅・整備、空港、港湾、漁港、農業基盤整備等の公共事業の6割強は本土業者が受注し、県内資本循環が乏しい経済構造が造られた。なぜか? 資本力、技術力等から本土ゼネコンが優先されたからだ。

振興予算は県内の資金循環効果が乏しく、「ODA沖縄版」と揶揄された。本土との格差是正を目標に集中的に財政が投入されたが、財政依存度は復帰時の23.5から1次振計最終年度の1981年度は37.2%まで拡大していく。

この間の完全失業率は3.7%から5.4%に拡大し、雇用失業問題が社会問題化した。財政依存度の弛緩を招いた経済構造が組み立てられたのだ。

この間の経済指標を丹念に追えば、1次産業の割合は、7.3%から5.3%に、2次産業は27.9%から21.3%へ、自立の指標となる製造業は10.9%から6.8%にそれぞれ低下したのである。

1次振計期間中に1兆2,483億円の振興事業費が投入されたが、この間、国は沖縄から6,854億円の国税を徴収した。沖縄予算の30%相当分は、高率補助であり、戦後27年間の分断による「償い論」を根拠にする。

沖縄予算の経緯はこうだ。日本政府が琉球政府(市町村を含む)に財政援助を開始したのは1963年度予算からだ。この間、沖縄は国の財政援助から見捨てられていた。米軍政下の沖縄予算は「沖縄復帰対策費」として計上、日米琉の合意によって執行されていた。1947〜59年度までに米国は、当時の金で600億円を超えるガリオア資金(戦災地復興資金)を投入し、沖縄の戦後復興がスタートする。

復帰後は全国並みに予算計上されているが、振興予算の枠組みは@沖縄振興法、A沖縄振興計画、B高率補助、C一括計上の四点セットからなる。その理由は、苛烈な戦火を被ったことや27年間の米軍政下にあった歴史的事情があるからだ。
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2017年07月24日

半世紀後の沖縄振興計画はあり得るのか(39)

半世紀後の沖縄振興計画はあり得るのか(39)

■沖縄振興に10兆9,403億円

[4]挫折した所得格差
1次振興計画を議論していた時の話。工業化誘導政策で1人当たり県民所得は本土の8割を掲げた。人口増加を基本に議論が沸騰した。過疎県にはしない、知恵を出せ! 初代沖縄開発庁長官・山中貞則が声を張り上げた。

総人口を95万人から100万人を超えるフレームを設定。就業者数は39万人から46万人に増やすことを目標にした。失業率は復帰時の3.0%から5.4%に想定。

所得格差を全国の8割に持っていくには、県内総生産に占める第2次産業の比率を18%から30%に引き上げることとした。そのためには第1次産業の構成比は25%から13%に、第3次産業は74%から65%に引き下げ物的生産手段を強化する必要があった。1人当たりの県民所得は33万円から3倍にすることが議論された。

第2次産業重視の経済フレームであったが、実現しなかった。なぜか。第1次振興計画は、所得格差手段として「工業化路線」を採用し、本土から大型企業を誘致することで立ち遅れている第2次産業の構成比を、県内総生産の30%に設定し、県民1人当たり所得水準を全国水準の80%に近づけることを目標に本島東海岸に臨海工業立地を促進したが進展しなかった。

沖縄コンビナート形成は石油精製、アルミ精錬、造船、修理ドッグなどの工業誘致を想定。内陸型工業としては、食糧、繊維工業、窯業、土石などの工業誘致を想定。

企業が立地しなかった理由は、工業化に必要な社会資本の未整備、工業用水、電力の調達が難しかったことも一因。

日本経済は石油危機を契機に、低成長政策へシフトし生産基地の必要性がなくなった。沖縄は眼中にもなかったのである。

プラザ合意以来、円高の進行で日本の製造業は賃金の安い海外へ移転し、沖縄の工業誘致政策は完全に失敗したと言えるのではないか。

posted by ゆがふ沖縄 at 00:27| 大学の窓から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月21日

半世紀後の沖縄振興計画はあり得るのか(38)

半世紀後の沖縄振興計画はあり得るのか(38)

■沖縄振興に10兆9,403億円

[2]雇用・労働
就業者数は復帰当時(1972年)35万9千人であったが、2017年は68万7千人に増加した。復帰後、6〜8%台の高水準で推移していた完全失業率は2016年は4.4%まで改善したが、若年層の失業率は依然として高い(15歳〜19歳の失業率20.0%、20歳〜24歳の失業率8.9%)。

[3]経済規模
復帰時(1972年度)の県内総生産(名目)は4,592億円であったが、2014年度は4兆511億円と8.8倍に拡大。経済規模は観光収入や財政支出の増加等で拡大したが、ものづくり産業の占める割合は復帰後低下している。

沖縄振興で第1次産業に1兆5千億円の財政が投下されたが、県内総生産に占める割合は、復帰時(1972年度)の7.3%から2014年度は1.5%に低下。コストパフオーマンスが悪い。

同期間の第2次産業は27.9%から13.9%に大幅に低下。財政が民間経済を誘導していないことが分かる。自立経済再生の「処方箋」と期待された製造業は10.9%から4%に低下。沖縄振興は自立経済の構築を標榜する。沖縄経済の4%を占める製造業で自立は可能か? 行政は傍観者の立場でなくこの問題をどのように考えてきたのか? 特別措置に依存した体質から何を学んだのか。

沖縄は経済問題を「政治」で語ってきた。要請・陳情、政治力学で特別措置が維持されてきたが、異論・反論があってもいいのではないか。危機に鈍い経営者の問診票が必要と思うが・・・・。特別措置がなくなった時、沖縄の自立が始まる。

かすむ製造業への処方箋はあるのか? 特別措置で沖縄経済の自信は回復できるのか?

オムロン社長の立石義雄さんは、製造業再生の素晴らしい論文を書き留めている。それによると、「第1に得意な分野に事業を集中しているか。第2に自社のコスト、工法、工程が一番合理的と言えるか、第3に高い固定費で無駄なことに挑戦していないか、第4にソフトの分野で本当に競争力があるのか」。

さらに話を続ける。「こうした切り口で企業は自己点検をして変わらなければならない。マネージメントの決断、つまり企業革新だ。これをやれば製造業は沈没しない」

製造業が新しい市場を開くための条件を示している。政治力学、特別措置に依存してきた沖縄の製造業が学ぶ点だと思う。特別措置へのおごりがある沖縄経済への警鐘にもなる。

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