2017年07月24日

半世紀後の沖縄振興計画はあり得るのか(39)

半世紀後の沖縄振興計画はあり得るのか(39)

■沖縄振興に10兆9,403億円

[4]挫折した所得格差
1次振興計画を議論していた時の話。工業化誘導政策で1人当たり県民所得は本土の8割を掲げた。人口増加を基本に議論が沸騰した。過疎県にはしない、知恵を出せ! 初代沖縄開発庁長官・山中貞則が声を張り上げた。

総人口を95万人から100万人を超えるフレームを設定。就業者数は39万人から46万人に増やすことを目標にした。失業率は復帰時の3.0%から5.4%に想定。

所得格差を全国の8割に持っていくには、県内総生産に占める第2次産業の比率を18%から30%に引き上げることとした。そのためには第1次産業の構成比は25%から13%に、第3次産業は74%から65%に引き下げ物的生産手段を強化する必要があった。1人当たりの県民所得は33万円から3倍にすることが議論された。

第2次産業重視の経済フレームであったが、実現しなかった。なぜか。第1次振興計画は、所得格差手段として「工業化路線」を採用し、本土から大型企業を誘致することで立ち遅れている第2次産業の構成比を、県内総生産の30%に設定し、県民1人当たり所得水準を全国水準の80%に近づけることを目標に本島東海岸に臨海工業立地を促進したが進展しなかった。

沖縄コンビナート形成は石油精製、アルミ精錬、造船、修理ドッグなどの工業誘致を想定。内陸型工業としては、食糧、繊維工業、窯業、土石などの工業誘致を想定。

企業が立地しなかった理由は、工業化に必要な社会資本の未整備、工業用水、電力の調達が難しかったことも一因。

日本経済は石油危機を契機に、低成長政策へシフトし生産基地の必要性がなくなった。沖縄は眼中にもなかったのである。

プラザ合意以来、円高の進行で日本の製造業は賃金の安い海外へ移転し、沖縄の工業誘致政策は完全に失敗したと言えるのではないか。

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2017年07月21日

半世紀後の沖縄振興計画はあり得るのか(38)

半世紀後の沖縄振興計画はあり得るのか(38)

■沖縄振興に10兆9,403億円

[2]雇用・労働
就業者数は復帰当時(1972年)35万9千人であったが、2017年は68万7千人に増加した。復帰後、6〜8%台の高水準で推移していた完全失業率は2016年は4.4%まで改善したが、若年層の失業率は依然として高い(15歳〜19歳の失業率20.0%、20歳〜24歳の失業率8.9%)。

[3]経済規模
復帰時(1972年度)の県内総生産(名目)は4,592億円であったが、2014年度は4兆511億円と8.8倍に拡大。経済規模は観光収入や財政支出の増加等で拡大したが、ものづくり産業の占める割合は復帰後低下している。

沖縄振興で第1次産業に1兆5千億円の財政が投下されたが、県内総生産に占める割合は、復帰時(1972年度)の7.3%から2014年度は1.5%に低下。コストパフオーマンスが悪い。

同期間の第2次産業は27.9%から13.9%に大幅に低下。財政が民間経済を誘導していないことが分かる。自立経済再生の「処方箋」と期待された製造業は10.9%から4%に低下。沖縄振興は自立経済の構築を標榜する。沖縄経済の4%を占める製造業で自立は可能か? 行政は傍観者の立場でなくこの問題をどのように考えてきたのか? 特別措置に依存した体質から何を学んだのか。

沖縄は経済問題を「政治」で語ってきた。要請・陳情、政治力学で特別措置が維持されてきたが、異論・反論があってもいいのではないか。危機に鈍い経営者の問診票が必要と思うが・・・・。特別措置がなくなった時、沖縄の自立が始まる。

かすむ製造業への処方箋はあるのか? 特別措置で沖縄経済の自信は回復できるのか?

オムロン社長の立石義雄さんは、製造業再生の素晴らしい論文を書き留めている。それによると、「第1に得意な分野に事業を集中しているか。第2に自社のコスト、工法、工程が一番合理的と言えるか、第3に高い固定費で無駄なことに挑戦していないか、第4にソフトの分野で本当に競争力があるのか」。

さらに話を続ける。「こうした切り口で企業は自己点検をして変わらなければならない。マネージメントの決断、つまり企業革新だ。これをやれば製造業は沈没しない」

製造業が新しい市場を開くための条件を示している。政治力学、特別措置に依存してきた沖縄の製造業が学ぶ点だと思う。特別措置へのおごりがある沖縄経済への警鐘にもなる。

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2017年07月20日

半世紀後の沖縄振興計画はあり得るのか(37)

半世紀後の沖縄振興計画はあり得るのか(37)

■沖縄振興に10兆9,403億円

復帰後、政府は沖縄振興事業費として10兆9,403億円投入した。その内訳は下記のとおりだ。

第1次沖縄振興開発計画(1972〜1981)⇒1兆2,483億円
第2次沖縄振興開発計画(1982〜1991)⇒2兆149億円
第3次沖縄振興開発計画(1992〜2001)⇒3兆4,639億円
沖縄振興計画(2002〜2011)⇒2兆4,610億円
沖縄21世紀ビジョン基本計画(2012〜2017)⇒1兆7,522億円
          計⇒10兆9,403億円*2017は当初予算

国から11兆円近い振興事業費が投入したが、沖縄はどう変わったか、検証する。

[1]沖縄振興計画は人口増加計画だった。
沖縄県の人口は復帰当時(1972年)97万人だったが、2017年は144万7千人に増加した。復帰後、人口は47万7千人増加したことになる。復帰後の人口増加率は49%で全国の18%を大きく上回る。

復帰直前、沖縄の人口は減少していた。1970年の沖縄県の人口は945,111人であったが71年は939,742人に減少(▲5,369人)したのだ。

復帰したら本土・沖縄間の渡航が自由になり、沖縄県の人口は70万人台まで減少するという意見が多数を占めていた。

第1次振興開発計画の企画立案に際し、初代沖縄開発庁長官・山中貞則は、復帰後の人口減少を食い止め、過疎県に転落しないために人口誘導政策を事務方に指示した。

大臣は「第1次沖縄振興計画は、人口増加政策を基本にせよ」ということであった。「戦前の沖縄は、日本一貧乏県だった。沖縄戦で県土が破壊され、米軍支配の暗い過去がある。復帰後の振興計画は産業基盤の整備を早急に展開しながら、人口を増加し豊かな沖縄県をつくることだ」─振興計画は人口フレームを重視した。

山中大臣は、「経済の再建は質的にも量的にも人でなければならない。沖縄が過疎県に転落するようなことがあったら、沖縄振興計画は絵にかいたもちに終わるだろう、ということは復帰の担い手がいないという島にしてはいけない」という言葉を口にして人口増加計画を指示していた。

振興計画の人口フレームは100万人を超える目標を掲げたが、1次振計以降、4時までの振興計画で人口は目標を超えている。復帰時に97万人だった人口は、145万近くまで増加したことは、当時の議論からは想定外だったのである。

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