2017年04月10日

沖縄予算一括計上の本質㉜

沖縄予算一括計上の本質㉜
〜敗戦後の財政援助から沖縄予算へ

第2次振興計画は、1982年から10年間単純延長された。計画の目標、基本方向は全く同じである。基本方向で「地域特性を活かした国際交流の場に形成」が新しく盛り込まれただけだ。部門別推進方針は「観光レクリェーションの振興」「国際交流の場に形成」が追加された。

「国際交流の場の形成」が盛り込まれたのは、たしか琉球大学教授・山里将晃教授が米国の事例を持ち出し、沖縄発展戦略として国の専門委員会で主張していたと思われる。教授は西銘県政の政策ブレーンとして、沖縄県振興開発審議会の会長も務めていた。

専門委員会座長・山里将晃教授と札幌に出張したことがあるが、沖縄の国際化の構想に情熱を燃やしていた。当時、私は沖縄総合事務局で専門委員会の事務を担当していた。札幌のホテルのラウンジで夜景を見ながら沖縄の発展戦略として、コンベンションによる自立的発展の必要性を説いていた。酒は一滴も飲めない山里先生が初めて赤ワインを手にしていた。

コンベンションシティによる情報機能の強化、国際会議の誘致、交通体系の整備等で沖縄振興の起爆剤、沖縄振興の「顔づくり」、シナリオを聴く機会があった。

沖縄発展の新たな戦略として経済的な視点、沖縄の優れた人間環境の中から交流の場を創出してゆく発想は、情報化、国際化という時代の潮流を背景として、1987年「沖縄コンベンションセンター」として実を結ぶことになる。

隣接地にはビーチ、マリーナ、体育館、リゾートホテルがある。コンベンションはアジアと沖縄を結ぶノウハウだったのだ。

沖縄の活力をコンベンションに求める。沖縄の国際化を先読みする。アジアの中に沖縄を位置付ける。2次振興計画の行政に携わり、本質的な議論を聴き、戦略的反射神経を見た思いがする。

* * *
日曜の夜に想う。花咲く4月、自宅の木の芽はいくつか開いている。このブログを書きながら、2階の窓から南風原町方面の夜景を見つめているとさわやかな風が入り込む。斜面の光のライトがよく似合う。赤ワインを片手に、野中郁次郎他著『戦略の本質』に目を通し、感動する。

「戦略とは、何かを分析することではない、本質を洞察しそれを実践すること」
『戦略の本質』〜歴史に学ぶ逆転のリーダーシップ〜(日経ビジネス文庫)

小池百合子・東京都知事の愛読書『失敗の本質』(中公文庫)をこれから読もうと思う。
posted by ゆがふ沖縄 at 00:08| 宮田裕の「沖縄振興論」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月07日

沖縄予算一括計上の本質㉛

沖縄予算一括計上の本質㉛
〜敗戦後の財政援助から沖縄予算へ

1次振興計画でなぜ企業が立地しなかったか。その一因は、工業化に必要な社会資本の未整備、工業用水、電力の調達が難しかったことにある。

沖縄は祖国に復帰し1次振興計画は策定されたが、日本経済は石油危機を契機に、低成長戦略へシフトし生産基地の必要性がなくなったからだ。

日本の企業にとって沖縄は眼中になかったのだ。プラザ合意以来、円高の進行で日本の製造業は賃金の安い海外へ移転し、沖縄の工業誘致政策は完全に失敗したのである。

振興計画の産業振興は停滞したのだ。経済情勢の変動により、沖縄への企業進出意欲は減退した。

当時、沖縄では公害、自然環境問題等価値観変化により企業進出への拒否反応もあった。松下電器は糸満市に工業用地を確保したが進出を断念した。復帰直後の労働争議への不安や企業誘致に対する沖縄県庁の取組の弱さもあった

特別措置として設けられた工業開発地区、自由貿易地域が十分活用されなかったことも一因がある。1959年10月、高等弁務官布令で自由貿易地域が設置された。米軍は自由度を与え、沖縄のドル確保へ寄与した。1972年日本復帰して、沖縄振興開発特別措置法において沖縄自由貿易地域が法制化されたが、関税法の枠組み運用で外国でいう自由貿易地域と本質が違う。

専門委員会で議論されたのは、日本経済に組み込まれたが市場、技術、経営に関する情報収集力、労働生産性の弱さも指摘された。

雇用、失業問題は深刻であった。工業立地が進まず、県内雇用の場が困難な状況にもかかわらず県内就職志向、本土就職者のUターン、進学率の低下などから若年者の高失業をもたらした。基地雇用解雇も大量に発生した

工業重視の振興計画の経済フレームに無理があったのだ。


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2017年04月06日

沖縄予算一括計上の本質㉚

沖縄予算一括計上の本質㉚
〜敗戦後の財政援助から沖縄予算へ

沖縄の経済社会における現状認識と沖縄振興開発審議会の審議方針を踏まえて、沖縄開発庁では振興計画総点検作業と振興開発総合調査の実施という第2次振興計画策定に向けての本格的な作業に着手した。

沖縄総合事務局では、第2次振興計画を策定するに当たり重要となる総合調査を実施した。総合調査とは、振興計画作成の各種基礎資料のことだ。

第2次振興計画策定に向けて専門委員会では、沖縄の経済社会の現状、問題点、将来の方向が議論された。他方では、沖縄振興法の総点検作業と総合調査などの結果を踏まえて沖縄振興開発審議会は、沖縄の豊かな未来を築いていくためには、引き続き沖縄の振興開発を図る必要があると採択し、内閣総理大臣に対し沖縄振興開発計画の必要性について意見具申した。

意見具申を受けて沖縄開発庁は、沖縄振興開発特別措置法の延長と第2次振興計画の検討を行い、各省庁と調整し、1992年3月31日、沖縄振興開発特別措置法の有効期限を10年延長し、1992年8月「第2次沖縄振興開発計画」を策定した。沖振法の特別措置も講じられた。

第2次振興計画延長の背景には、総合調査、第1次振計の総点検などがあった。私の手元に当時の専門委員会の内部資料がある。なぜ第1次振興計画は機能しなかったのか総括したものだ。内容の一部を公表する。

第1次振興計画は、所得格差是正手段として「工業化路線」を採用したが実現しなかった。

本土から大型企業誘致で第2次産業の構成比を県内総生産の30%に設定し、県民1人当たり所得水準を全国水準の80%に近づけることを目標とした振興計画の夢は挫折した。

本島東海岸に臨海工業立地を促進、沖縄臨界コンビナートを形成し、石油精製、アルミ精錬、造船、修理ドックなどの工業誘致を目指したが、その流れは沖縄に定着しなかった。本土の後追い型キャッチフレーズに産業政策の苦悩を反映したのではないかと思われる。
posted by ゆがふ沖縄 at 00:20| 宮田裕の「沖縄振興論」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする